石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社 | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社

石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社西日本最高峰石鎚山神体山とする神社で、山麓に鎮座する本社(口之宮)、山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称である。旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社。石鎚山総本宮と称し、宗教法人石鎚本教の総本宮でもある。神紋は丸に石の字。

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石鎚神社本殿

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祭神

石鎚毘古命(いしづちひこのみこと・古事記では石土毘古、石鎚大神とも称する)

  • 石鎚大神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の第二子で、天照皇大神の兄に当たるとされている。
  • 祭神は一神だが、神徳を仁智勇の玉持ち神像(和魂 にぎみたま)、鏡持ち神像(奇魂 くしみたま)、剣持ち神像(荒魂 あらみたま)の三体の神像に現す。
  • 祈願の作法:二拝→二拍手→心中祈願→二拍手→二拝
  • 玉串拝礼の作法:玉串を持ち心中祈念→玉串を神前に供える→二拝→二拍手→一拝

本社:元の禊場の神変大菩薩

由緒

石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、日本霊異記には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。 伝説で紀元前63年のこと崇神天皇第35年石鎚の峯に神を勧請す(長寛勘文による)とある[2]。また、685年に役小角(神変大菩薩)が開山、引き続き、寂仙法師(上仙とも呼ばれていて石仙の弟子)が開山したと伝えられる。その後、空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから空海も修行したことは異論のないところである。さらに伊予国風早郡の出身の光定といった高僧たちも修行した。以来、石鈇山蔵王権現と称され、神仏習合・修験の道場として繁栄した。

また、朝廷・武家の崇敬極めて篤く、桓武天皇の勅願によって建立された石鈇山常住社には、文徳天皇高倉天皇崇徳天皇後醍醐天皇など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わる。1342年(興国3年)には後村上天皇が朝敵退散を祈願するために勅使を遣わしている。武家では河野氏が篤く崇敬し、そして西条藩主小松藩主も厚く遇した。

近世の歴史として、石鈇山常住社に1591年(天正19年)伊予の領主となった福島正則が参籠し、1610年(慶長15年)豊臣秀頼が石鈇山常住社の神殿を修築し、福島正則がその普請奉行となる。1657年(明暦3年)には、石鈇山社(麓の西田)に西条藩主一柳直興が仏殿を建立し、1670年(寛文10年)西条藩祖の松平頼純は石鈇山社に高三石を寄附する。1728年(享保13年)徳川吉宗の命を受け採薬師植村佐平次が石鈇山に登頂する。1752年(宝暦2年)には徳川家重が1778年(安永7年)には徳川家治が、石鈇山社に厄除け祈祷を命じたと記録がある。霊峯石鎚山を北東から

明治に入って、1869年(明治2年)に神仏分離につき取調が始まり、翌年には石鈇権現号が廃止、さらに翌年の1871年(明治4年)4月5日に石鉄神社(祭神石土毘古命)となり、同年7月4日には県社に列格された。その際中、1872年(明治5年)に本殿と庫裡は焼失し、寺方は塔頭の医王院(現在の前神寺の場所)へ転出する。そして、前神寺の境内は当社となり、現在の祖霊殿を本殿とし、石鈇山常住社は当社の成就社となり、横峰寺は西の遙拝所とされた。その後、1875年(明治8年)前神寺横峰寺に廃寺通告が来る。社名は1902年(明治35年)3月8日に石鉄神社から石鎚神社に変更が決定される。しかし、発足当初の当社は神社としての態勢が不十分で、神仏分離の混乱のため信者が減少し、長らく不振の時代が続いたが、1912年(明治45年)第10代社司に就いた越智勝丸により各地に崇敬講を組織し、財政の再建や社殿の修復・新築に尽力し現在の当社の基礎を築き発展していった。なお、前神寺と横峰寺はその後復興されている。

戦後は1946年(昭和21年)5月10日「石鎚教教派総本社」を設立し、1949年(昭和24年)宗教法人「石鎚本教」に改称、神社本庁に属して、別表神社に加列、神仏習合の伝統に基づく教化活動を行なっている。

成就社の災難の歴史として、1889年(明治22年)4月10日午前5時行者の参籠通夜中の失火により全焼し社殿・宝物が消失。1893年(明治26年)成就社本殿再建、1900年(明治33年)成就社社殿再建竣工する。また、1980年(昭和55年)11月13日に大火に見舞われ、周辺の旅館と共に全焼した。山上で消火用水も少なく消防車も駆けつけることが出来なかったことが被害を大きくした。しかし2年後の6月には早くも周辺旅館と合わせて復興した。

本殿

祖霊殿

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頂上社

  • 奥宮頂上社:弥山頂上(標高1974m)にあり、社殿には三体の御神像(2002年9月28日遷座)が祀られていて、御神像拝戴(神像に触ること)ができる。2002年(平成14年)10月24日竣工。神職常駐期間5月1日~11月3日朝拝や夕拝が行われ、お守りやお札を頒布している授与所が開かれる。
  • 弥山頂上の岩座に石の祠が2016年に二の鎖小屋とともに新設された。
  • 頂上山荘:神社が経営する山小屋、5月初めから11月3日までは一般登山者の宿泊が可能。神職の宿泊地でもある。
  • 成就社神門から頂上社までの登山道:この区間の登山道二間幅は石鎚神社の境内地である。
  • 前社ケ森の鉄鎖(試し鎖・上り48m下り19m)、一の鉄鎖33m、二の鉄鎖65m、三の鉄鎖68m:石鎚山の象徴である。
  • 天狗嶽:西日本最高地点(標高1982m)で石鎚神社の境内地。三十六王子社の36番である。
  • 二の鎖下の木の鳥居:成就コースと土小屋コースの合流地点にある。また、ここには避難小屋・有料トイレ・野営地がある。

頂上社

弥山頂上

アクセスと宿泊

本社(口之宮)

成就社(中宮)

  • 石鎚登山ロープウェイ(1968年8月1日開通)所要時間7分30秒。障害者・団体各種割引有り。山麓下谷駅まで車、山頂成就駅より成就社まで徒歩約25分。途中観光リフト経由でも成就社へも行ける。リフトの終点から成就社へは多くが下りとなる。
  • 徒歩登山道として今宮道(6.6km):河口(コウグチ)に登山口があり整備されているがマニア向けである。約800m西に登山口がある黒川道は通行禁止。
  • 宿泊(成就社):白石旅館300名まで。玉屋旅館180名まで。日ノ出屋旅館180名まで。
  • 宿泊(ロープウェイ下谷駅):温泉旅館京屋150名まで。

土小屋遥拝殿

ただし、冬季は通行不可。12月1日(通行は11月30日午後6時まで)から 3月31日まではゲートが閉鎖される。

  • 瓶ヶ森林道終点:松山自動車道いよ西条インターチェンジから車で約2時間。ただし、冬季は通行不可。11月30日(通行は前日の29日まで)から 4月中~下旬頃まではゲートが閉鎖される。
  • 宿泊:白石ロッジ100名まで。国民宿舎石鎚130名まで。岩黒レストハウス(食堂と弁当予約のみ)。

頂上社

  • 表参道の成就ルート:成就社から約3時間の登山。累積標高:+約810m/-約170m
  • 土小屋ルート:土小屋遥拝殿から約2.5時間の登山。累積標高:+約650m
  • 面河ルート:面河渓(標高700m)からの昔からある裏参道であるが標高差も距離も長い。約5~6時間の登山。
  • 宿泊(久万高原町):国民宿舎古岩屋荘116名まで。
  • 宿泊(頂上):頂上山荘30名まで要予約、営業期間5月1日~11月3日
所在地愛媛県西条市西田甲797番地
位置北緯33度53分23.3秒
東経133度9分19.8秒
座標
主祭神石鎚毘古命(石土毘古命・石鎚大神)
社格県社・別表神社
創建奈良時代
本殿の様式権現造
例祭4月5日10月5日
主な神事お山開き(7月1日~10日)

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