青森ねぶた祭は、青森県青森市で8月2日から7日に開催される夏祭り | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)は、青森県青森市で8月2日から7日に開催される夏祭り

青森ねぶた祭(あおもりねぶたまつり)は、青森県青森市8月2日から7日に開催される夏祭りであり、毎年、延べ200万人以上の観光客が訪れる。1980年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

青森ねぶた(屋内に展示されている2009年の東北電力のねぶた)

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起源・歴史

以前、起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂陸奥国蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠太鼓ではやし立てたことを由来とするものである。このため、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として1962年に「田村麿賞」が制定された(現在では「ねぶた大賞」と名称変更されている)。しかし坂上田村麻呂が現在の青森県の地で征討活動をしたとは考えられず、ねぶたの起源とされたものも坂上田村麻呂伝説の1つと見られる。現在では、日本全国にある土着の七夕祭りや眠り流しの行事(禊祓い)が変化したものと考えるのが主流で、現在の形式のねぶた祭りの発祥は浅虫ねぶたとされている。一方で、田村麻呂の側近である文室綿麻呂は史実の上で青森県まで達した可能性が高く、また青森ねぶたのみ、他の地域のねぶた・ねぷたと大きく異なる、日本の伝統音楽には他に類を見ないほどの勇壮な囃子であることから、蝦夷征伐説の可能性もなお否定できない。青森市内には妙見の大星神社(征伐軍の戦勝祈願)・幸畑地区の熊野神社(蝦夷の砦「甲田丸」跡)・沢山地区の稲荷社(蝦夷「屯慶」没所)等、蝦夷征伐を伝える痕跡が残っている。

藩政時代や明治時代には大型の灯籠を担いで町中を練り歩く行為に対ししばしば禁止令が出された。戦時中も禁止されたが、戦況が悪化した1944年には戦意高揚の為に解禁されており、「桃太郎の鬼退治」をもじった「桃太郎のルーズヴェルト退治」(製作者は北川金三郎)といったものが製作された。戦後は逆に進駐軍の影響により西洋への敵対的な表現ができなくなり、また刀を持ったねぶたも事実上制作不能だった。進駐軍撤退後には企業がねぶた運行の主体となり、観光の側面が強くなるようになった。人形型ねぶたは元々は竹を曲げて骨組みを作り、指等の細かい部分はその上に貼った和紙に筆で描いていた。昭和30年代に北川啓三というねぶた師が針金を用いて指を1本ずつ作ったり複雑な造作のねぶたを作ったことによって、ねぶた界に革命が起こる。針金が登場した当時、一部では反発があったと言われているが、その表現性の高さから程なくして主流となった。北川によってロウソクだった内部の明かりを蛍光灯に替え、台座にバッテリーを乗せ明るく輝くねぶたを作ることに成功しより芸術性と完成度を高め、後に「ねぶたの神様」と評される。北川は既に他界しているが、現在の主流となっているねぶたの礎は北川が築いたと言える。その後、佐藤伝蔵鹿内一生によって更にねぶたの造形性が高められ現代のねぶたの形が整った。千葉作龍竹浪比呂央が郷土(青森)の題材をねぶたに取り入れた。

浅虫ねぶた

開催状況

毎年8月2〜7日まで開催される。このうち8月2〜6日で夜間運行がある。7日は昼間運行であるが、夜に海上運行と花火大会が催される。また、8月1日には前夜祭が行われる。開催にかかる費用は、約2億2000万

青森のねぶたには大型ねぶた、子供ねぶた、地域ねぶたがある。子供ねぶた、地域ねぶたは主に町内会が主流となって運行するねぶたであり大きさも普通の大型ねぶたより一回り小さい。子供ねぶたは8月2・3日の2日間運行される。大型ねぶたは開催期中必ず運行されるが、奨励金の関係か2日と3日は大型ねぶたの運行台数が少ない。

昔は雨天中止になることもあったが、現在は雨天でもビニールをかぶせて運行される。ただし、ねぶたの形によっては一部がビニールに穴をあけてはみ出してしまうこともある。ビニールを突き破るのは持っている武器等細長い物や尖った物が多いが、馬の顔が突き出していたこともある。また強風によりビニールを飛ばされてしまうこともあり、そういった場合には運行終了後に修復しなくてはいけなくなる。

2018年度よりフォルテが「ねぶた アプリ」をリリースしており、全ての大型ねぶたに位置情報端末(GPS)を取り付け、利用者がアプリをダウンロードすることで、ねぶたの位置情報をリアルタイムで把握できるほか、ねぶたが利用者に近づくと、そのねぶたの団体名や制作者、詳細説明などを設定した言語で自動的に音声解説してくれる。現在、対応言語は日本語、英語、中国語(繫体字、簡体字)、韓国語の5言語である。

2020年4月8日新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて、実行委員会はこの年の開催中止を決定した。

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運行コース

青森市内の国道4号、新町通り、八甲通り、平和公園通りで囲まれたエリアが運行コースとなる。

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1982年まで市役所前又は新町通りと八甲通りの交差点から1台ずつ出発し、コースを右回りで回っていた。しかし祭りが佳境にはいったころ道幅の狭い新町通りにねぶたが入り、ハネトで通りが一杯になりねぶたがいつまでたっても前に進めないという問題点が指摘された。このため1983年に左周りにコースが改められた。

その後、1992年に、市内各地に点在していた「ねぶた小屋」(ねぶたの車両基地のようなところ)が、観光物産館付近の青い海公園ラッセランドに集められた時期から、新町通り柳町付近からの出発に変更された。

しかし祭りが高潮するとハネトであふれかえるためゴール地点は常に渋滞し、祭りそのものがなかなか終了しないという問題は相変わらずであった。ねぶた祭は青森市内の幹線道路を2本も通行止めにするので、時間通りに祭りが終了しないと市民生活に与える影響も大きい。またこの頃から、増大するカラス族(後述)の問題が無視できなくなってきた。祭りがだらだらと運行されるとカラス族が最後尾に集合し、祭りそのものが彼らの格好の餌食にされてしまう。

そこで2001年にはあらかじめねぶたを配置し花火の合図で同時にスタートし花火の合図で同時に終了するという手法に改められ、コースも右周りとなった。これによりねぶたの列の始めと終わりがなくなり、運行もスムーズになった。また、祭りを破壊しに来るカラス族を少なくさせることにも成功した。

大太鼓などの先頭集団は青森市立橋本小学校前から出発している(2017年現在)。

一方で、花火の合図と同時に最高潮にある祭りが蜘蛛の子を散らすように終了するのは見ていて寂しいものがある。

なお最終日の7日に限り、現在でもねぶたが1台ずつ出発している(「吹き流し」方式と言う。)。

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ねぶた祭りへの参加

ねぶたの運行に関して基本的な運営(ねぶたの隊列、山車の運行、囃子方)は各出陣団体によって賄われる。それ以外の重要なファクターとしてねぶたをロープで引っ張る子供(現在は形式だけで実際に引く団体は稀)、ハネトがある。特にハネトに関しては正式な装束をまとってさえいればどの団体のねぶたに参加しても自由であり、観光客でも参加することができる。県内のスーパーやデパートなどでは、花笠を除いて一式5000円程度で販売されている他、ねぶたの運行ルート上には衣装のレンタルを行っている所もある。こういった所では衣装の着付けもしてくれるので気軽にハネトとして参加することができる。

ハネトの正装

昭和20年代より、ねぶたを豪華絢爛にすべく審査制度が設けられた(古くは戦前にも審査は存在した模様だが現存する資料は確認できていない)。当初は「優秀」「優良」「佳良」などの名称であったが、審査に偏りがあるなどの理由から、1960年からは中止された。しかし審査を廃止した結果制作の手を抜くねぶた師が出るようになり、2年後の1962年より青森ねぶたの最優秀作を決める「田村麿賞」(現「ねぶた大賞」)が制定された。その後、「田村麿賞」に次ぐ賞がいくつか設けられ、また製作者賞(制定当時の表記)などの部門賞も設けられた。ただし、1964年のみ田村麿賞を受賞したねぶたが無い。祭り4日目の運行終了後に審査の集計が行われ、夜11時ごろに各賞が決定、翌日の表彰式で受賞した団体に賞の額が贈られ、ねぶたに飾り付けられる。なお、額の形状は、黒い枠の上段に「贈」、右上に「祝 ねぶた祭」、左上に団体名、左下に「青森ねぶた祭実行委員会」、下段にその年の西暦が記されている。

審査方法(2018年現在)

基本的には点数制で、ねぶた本体の点数に運行、ハネト、囃子などの点数を加算して順位が決まる。しかしそのため、ねぶた本体の順位と総合点の順位が異なる場合があり、これによってねぶた本体の評価と総合点での審査結果で逆転現象が起こることもある。そのため様々なねぶたに各賞が分散することもあれば、一度に多数の賞を取るねぶたが出ることもある。集計後、審査委員の採決によって点数が調整されることもある。

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イベントの種類祭り
開催時期8月2日から7日
主催青森ねぶた祭実行委員会
来場者数269.0万人(2015年、入込客数)
最寄駅青森駅

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