下賀茂・上賀茂の2社が並立する・賀茂神社(かもじんじゃ) | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

下賀茂・上賀茂の2社が並立する・賀茂神社(かもじんじゃ)

賀茂神社(かもじんじゃ)は、宮城県仙台市泉区古内糺にある神社下賀茂上賀茂の2社が並立する形式をとる。

仙台藩家臣・古内氏の屋敷跡にあり、当地に遷宮する前の名称から「糺(ただす)さま」、社殿の色から「赤神さま」とも呼ばれる。

KamojinjaSendai-hondenKamiShimo.jpg

宮城県仙台市泉区の賀茂神社の本殿。左が上賀茂神社、右が下賀茂神社。

スポンサーリンク

概要

泉中央副都心の西にあり、境内の北側を七北田川(冠川)が蛇行しながら東流している。この七北田川と七北田丘陵に挟まれた狭い河岸段丘の際に境内はあり、西に上賀茂、東に下賀茂の両社が並んで南東を向いて鎮座している。

下賀茂神社の正式名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ。祭神は、鴨建角身命(かもたけつねみのみこと)と多々須玉依姫(ただちたまよりひめ)の2柱。地元では「東の宮」と呼ばれる。

上賀茂神社の正式名称は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ。別雷命(わけいかづちのみこと)を祭る。地元では「西の宮」と呼ばれる。賀茂神社の拝殿前にある八咫烏神社

その他、八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)も境内に所在する。

住所の小字は当地に遷宮する前の当社の名称から糺となっているが、大字の古内は当地が古内氏の領地であったことと関係している。古内氏の中では古内志摩義如が著名で、仙台藩4代藩主伊達綱村のときの国老(家老)であり、1671年寛文11年)の寛文事件では刃傷沙汰の現場に居合わせた者の中で唯一の生き残りとなった。1673年延宝元年)に43歳で没し、志摩の屋敷前の慈眼寺に葬られた。当社は志摩の屋敷跡に建てられたものである。

ソース画像を表示

歴史

鹽竈神社の神職が、陸奥国宮城郡利府村野中男鹿島にあった自らの屋敷内に只洲宮および貴船宮を祀っていたが、この只洲宮が現在の下賀茂神社の起源とされている。のちに貴船宮は鹽竈神社境内に遷され、1607年慶長12年)には只洲宮(糺(ただす)の宮)も鹽竈神社境内に遷された。仙台藩第3代藩主伊達綱宗が、伊達騒動で既に子の綱村に家督を譲っていたものの1663年寛文3年)に鹽竈神社の修造を行い、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社境内で遷宮された。仙台藩第4代藩主伊達綱村による鹽竈神社の修造の際には、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社の外の別々の地に遷宮されることになり、1673年延宝元年)に没した古内志摩の屋敷跡である当地に、1696年元禄9年)、只洲宮は下賀茂神社として遷宮した。同時に上賀茂神社と八咫烏神社も勧請された。

年表

ソース画像を表示
  • スポンサーリンク
    < async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js">

    (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

祭典

どんと祭の時には裸参りも行われ、周辺道路が交通規制される。

  • 歳旦祭(1月1日)
  • どんと祭(1月14日)参拝者数:約3万人
  • 春季例祭(4月29日)
  • 夏越大祓式(7月31日)
  • 秋季例祭(10月7日)
  • 七五三祝祭(11月)
ソース画像を表示

文化財

アクセス

所在地宮城県仙台市泉区古内字糺1
位置北緯38度19分16.1秒
東経140度50分56.6秒
座標
主祭神(下賀茂神社)
鴨建角身命
多々須玉依姫
(上賀茂神社)
別雷命
本殿の様式一間社流造
別名糺さま、赤神さま
例祭4月29日5月1日

コメント