萬代橋(ばんだいばし)は、新潟県新潟市中央区の信濃川に架かる橋 | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

萬代橋(ばんだいばし/よろづよばし)は、新潟県新潟市中央区の信濃川に架かる橋

萬代橋(ばんだいばし/よろづよばし)は、新潟県新潟市中央区信濃川に架かる国道7号(重複: 国道8号国道17号国道113号国道350号)の道路橋梁。国の重要文化財に指定されている。新潟市の信濃川に架橋された初めての橋で、1886年(明治19年)に初代が竣工された。

東大通、萬代橋通り柾谷小路とを結び、新潟駅万代口から万代シテイを経て古町に至る中央区中心部のメインストリートの一部を成す。

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新潟市中央区。右岸側万代方面から見た萬代橋。

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概要

第3代となる現橋は1929年昭和4年)6月に竣工、側面に御影石(花崗岩)の化粧板を施した6つのアーチを連ねる鉄筋コンクリート橋である。橋長306.9m、幅員22.0m。車道は片側2車線の計4車線で、車道両端に自転車歩行者道を備え、橋梁両詰には橋詰広場が計4箇所設けられている。また橋梁両詰には人道函渠(ボックスカルバート)が各1箇所設けられ、西詰(左岸側)は新潟市道川岸町下大川前通線(信濃川左岸線)、東詰(右岸側)は新潟市道信濃川右岸線をそれぞれ立体交差によりオーバーパスしており、両市道の歩道との間には橋詰広場とを連絡する階段が設けられている。

現橋梁は当初、車道の中央部に路面電車軌道を通す併用軌道の橋梁として設計されたが実現に至らず、車道は上下計4車線の道路となっている。

昭和時代初期における大規模なコンクリートアーチ橋の貴重な現存例であり、新潟市のシンボルとして、またランドマークの1つとして広く定着している。

日本の建築史上、文化的な価値が高いとして、2002年平成14年)11月23日土木学会選奨土木遺産に認定された。さらに現橋の架橋75周年を迎えた2004年(平成16年)、国の重要文化財に指定されたのを機に、漢字表記を新字体の「万代橋」から、建設時よりの橋名板表記である「萬代橋」に復した。これに伴い同年春から夏に掛けて、架橋当初の姿に復すリニューアル工事が実施された。

なお、橋梁名は1886年明治19年)の架橋当初は「よろづよばし(現代仮名遣いでは「よろずよばし」)」と訓読したが、のちに音読の「ばんだいばし」へ転訛して正式の橋梁名もそれに倣い、そのまま現在に至るまで定着している。

重文指定を機に、橋梁上の街路灯も架橋当初の原型に復元された。

夜の萬代橋

地理

信濃川の河口から数えて2番目に位置する橋であり、上流側には八千代橋が、下流側には柳都大橋がそれぞれ架かっている。

左岸(北西側)の下大川前通(しもおおかわまえどおり)および川端町(かわばたちょう)地内、下大川前通と交差する萬代橋西詰交差点と、右岸(南東側)の万代(ばんだい)地内、東港線と交差する東港線十字路交差点との間に架かる。

新潟市中心部のメインストリートである柾谷小路と、新潟駅万代口に通じる萬代橋通り・東大通とを結ぶ幹線橋梁であり、国道7号(重複区間:国道8号、国道17号、国道113号、国道350号)の経路となっている。

萬代橋は架橋以来長きにわたり、信濃川最下流に架かる橋だった。市内中心部にあるため自動車・歩行者・自転車とも通行量が非常に多く、近年はしばしば発生する渋滞に悩まされていた。このため、1960年代には下流部を経由する有料道路「みなと大橋」の架橋構想が浮上し、1974年秋には建設構想が具体化したものの、オイルショック発生や市政の交代などにより頓挫した。だがその後も交通量は増大し続けたため、国と県、市は交通円滑化などを目指して1990年代から下流橋と、河口部を経由する水底トンネルの建設計画を進め、2002年5月19日、下流部に柳都大橋(りゅうとおおはし)、河口部に新潟みなとトンネルがそれぞれ開通した。萬代橋の1日あたりの自動車交通量は、柳都大橋・みなとトンネルの開通前まではピーク時で約65,000台(1985年)に上ったが、開通後には交通量が分散されたことによって、2002年6月の調査では約46,500台、さらに2010年の調査では約半数の32,000台と徐々に減少している。だが、この間も歩行者・自転車の1日あたりの通行量は平均で合計10,000人・台前後に上っており、信濃川に架かる新潟市内の一般道の橋ではなお最大である。

萬代橋下流の右岸側にはアシが生い茂る中州が存在したが、架橋以降「万代島」(ばんだいじま)と呼ばれるようになった。また右岸側はかつて「流作場」(りゅうさくば)という地名だった。これは「作物を植え付けても、大水や洪水ですぐに流されてしまう」という、かつての立地条件に因んだ地名であるが、1970年代半ばに住居表示が実施されたことにより「万代」に改称し、昭和以降に埋め立てられ右岸側と陸続きになった先述の「万代島」も正式な地名となった。また新潟交通が主体となり、万代と八千代橋寄りの「八千代」とに跨って開発した商業地には「万代シテイ」という名称が付けられた。さらに1982年には新潟駅が南口の開設に際して、旧来の北側出入口に「万代口」という愛称を与えた。これらはいずれも、萬代橋に因んで命名されているものである。

萬代橋は中心街の柾谷小路と東大通とを結んでおり、市内交通の要衝となっている。

新潟地震

1964年6月16日午後1時2分(日本時間)に発生した新潟地震に際し、萬代橋は、深い基礎を伴った耐震設計の確かさを証明することになった。

地震によって新潟市中心部は液状化現象で地盤が沈降し、そこへ津波が河川を遡上したことによって広範囲にわたり浸水するなど、大きな被害が及んだ。信濃川の道路橋梁に関しても、この6月に上流部で開通したばかりの昭和大橋は落橋、1962年に開通していた八千代橋も著しく損傷した。これに対し、萬代橋は両岸部の地盤が約1.2m沈下し、取付部が破損したものの、橋梁部そのものは全体に約10cm沈降しただけで耐え抜いた。市内に架かる信濃川の橋梁で、躯体の甚大な損壊を免れたのは萬代橋と帝石橋(現在の平成大橋の前身にあたる橋梁)の2橋梁のみであったことから、速やかに応急復旧工事が施され、6月21日未明から車両の通行を再開し、被災者救援の交通に供された。

地震被災当時、架橋後30年以上を経た古橋である萬代橋の堅牢さは、被害を受けた当時の新潟市民に強い感銘を与えた。萬代橋への敬慕の念を抱く新潟市民がことに多いのは、この逸話に因る面も大きい。

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とはいえ地震による随所のダメージは大きく、同年11月から翌1965年5月まで約7か月を掛けて復旧工事が行われた。この際、萬代橋には橋梁の両側に並行して仮橋梁を架橋し、上下線の人車の通行を確保しながら、損壊個所の補修や補強などが施された。両詰の橋詰広場は、災害時の避難場所や、仮橋や迂回路を設置する場所として活用することを想定して建設されたものだが、この復旧工事の際には、実際に仮橋梁の取付部として使用された。

この復旧工事によって橋長が約2m短縮されて現在の306.9mとなり、各アーチをはじめとする構造物が補強された他、両詰に1箇所ずつ設けられ、地震で損壊した小アーチは作業工程の都合上、ラーメン構造の人道函渠(ボックスカルバート)に改造された。東詰側には新潟駅から萬代橋を前述の小アーチでアンダーパスし、下流の万代島に至る信越本線の貨物支線が通じていたが、こちらも液状化と津波で大規模な被害を受けたため、1965年8月20日付で廃線された。現在、この両詰のボックスカルバートはいずれも市道がアンダーパスしているが、前述の地盤沈下と、この新潟地震による液状化の名残りから、ボックス前後の線形は緩やかな鈎の手状のカーブを描いており、上流側と下流側では約1mの高低差がある。

ライトアップ

1985年8月、初代萬代橋の架橋から、数え年で100周年となったことを記念して、市民・県民の寄付で橋のライトアップが実現した。現橋の架橋当初には南部鋳物で造られた「橋側灯」が設置されていた。この橋側灯は単に橋脚を照らすだけでなく、夜間に信濃川を航行する船舶が橋脚に衝突するのを防ぐため設置されていたもので、戦時中の鉄材供出により撤去されたままとなっていたが、それから約40年を経て、違った形ではあるものの復活を見ることになった。夜の水面に、春・夏は鮮やかな昼白色、秋・冬は暖かな淡いオレンジ色の光に照らし出される萬代橋は、夜の新潟の街を彩る風物詩となった。ただし後年は機器の老朽化等の事情で、照明は通年オレンジ色だった。

1989年8月、新潟市制100周年を記念して、新潟まつりの「民謡流し」が初めて、柾谷小路北端の寄居町交差点(東中通・西大畑通との交点、通称「日銀前交差点」)から萬代橋を挟んで、東大通の東大通交差点(明石通との交点)までの間で行われた。この年以降、民謡流しはこのコースで実施されている。なお民謡流しは、前年の1988年までは2日間開催されていたが、コース変更に際して市内交通への配慮から1日のみの開催に削減された。

また1994年8月には、福岡県福岡市東区内に架かる国道3号の道路橋梁「名島橋」との間で兄弟橋締結調印式が行われた。名島橋は萬代橋と同じコンクリートアーチ橋で、萬代橋の架橋65周年、名島橋の架橋60周年を記念して縁組が行われたものである。

橋側灯によるライトアップ

青い萬代橋

新潟国道事務所では2008年から毎年11月の「糖尿病週間」の夜間、萬代橋の橋側灯のランプを通常のオレンジ色から、青色に交換してライトアップを実施している。これは11月14日の「世界糖尿病デー」に因み、糖尿病に関する知識の普及啓発活動の一環として実施しているもので、ブルーは糖尿病を示すシンボルカラーである。

世界糖尿病デーのブルーライトアップをしている萬代橋

 日本
所在地新潟県新潟市中央区
交差物件信濃川
設計者
施工者
福田武雄(橋梁本体)
山田守(装飾)
建設第1代 : 1886年明治19年)竣工
第2代 : 1909年(明治42年)竣工
第3代 : 1929年昭和4年)竣工
座標北緯37度55分10.61秒
東経139度3分10.97秒
座標
 
構造諸元
形式RC造6連充腹式上路アーチ橋
全長306.9m
21.9m
最大支間長42.4m

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