志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)は、福岡県糟屋郡志免町にある元国鉄志免鉱業所(志免炭鉱;旧海軍炭鉱)の産業遺産

志免鉱業所竪坑櫓(しめこうぎょうしょたてこうやぐら)は、福岡県糟屋郡志免町にある元国鉄志免鉱業所(志免炭鉱;旧海軍炭鉱)の産業遺産である。近代建設技術史上価値が高いものとして、国の重要文化財に指定されている。

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周囲は運動公園として整備されている。櫓の後ろに見えているのはボタ山

概要

旧日本海軍日本国有鉄道によって運営された「国営炭鉱」海軍新原炭鉱~国鉄志免鉱業所の採炭夫を昇降させ、石炭を搬出するための施設である。当時の海軍燃料廠採炭部~第四海軍燃料廠の海軍技術少将猪俣昇設計(『日本鉱業会誌』〈※現在の「資源素材学会誌」〉の64号に「志免鉱業所下層炭開発に就いて」に猪俣の詳しい記述がある。)で,詳しくは後に示すが、捲揚機が櫓上部にある塔櫓捲(ワインディングタワー)形式の竪坑櫓(※立坑櫓とも記す。海軍時は竪の文字が、国鉄移管後には立の文字が主に現場では使われていた。どちらも正しい表記である。)として下層炭の採掘用として設計されたものである.

地上にある櫓の部分は1941年昭和16年)に着工し、1943年(昭和18年)に完成。地下の竪坑は竪坑櫓の完成後1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)にかけて開鑿され完成をしたとされた。竪坑の底である壺下は完成形の竪坑では半球形にコンクリート等で塞がれるが,この竪坑の設計図には壺下の設計は記載されておらず,土などの開削をした跡が其の儘とされて,最下層の石炭の採掘にも竪坑の延長が出来る様に読み取れる.終戦時には採掘用の坑道までは未だ出来上がっておらず、国鉄移管後迄は出炭は出来なかった。猪俣の著書が載る『海軍燃料史』に「海軍時に出炭出来なかったのが残念であった」と記載されている。

海軍が軍艦用として開設した炭鉱で敗戦時は第四海軍燃料廠という名称であるのだが,敗戦の為海軍省の消滅により大蔵省が一時所有していた時,海軍炭鉱最後の所長である第四海軍燃料廠長猪俣昇海軍技術少将が,SL(蒸気機関車)運転用の石炭が不足していた運輸省に移管させる事に成功し、運輸省門司鉄道局志免鉱業所とされた。

旧志免鉱業所竪坑櫓(左は南南西から、右は北北東からそれぞれ撮影)

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文化財

此の形式の立坑櫓は国内で戦前建設が2箇所建設されたが、戦前戦後の物件とも1つづつ解体されて、戦前のタイプはこの1件のみとなっている事から、2007年平成19年)7月31日に国の登録有形文化財に登録され[1]2009年(平成21年)12月8日、国の重要文化財に指定された[2]。残存の1件は戦後の後期形のもので、北海道羽幌町に遺っている。

竪坑櫓とそのすぐ近くに残されている斜坑口(第八坑連卸坑口)、国鉄勝田線跡地(志免駅跡である志免鉄道記念公園〈※この部分は筑前参宮鉄道新志免駅を出自とする旅客駅の施設で、本来博多湾鉄道が建設の志免駅〔国鉄香椎線旅石支線となった〕は、戦時合併で新志免駅と統一駅となったが硬山の直ぐの麓の部分,コンクリート工場,スーパーマーケット,バス通りになっている部分で,貨物駅の廃止後に放置されていた時には、一般的にはただの空地などにしか見えなかったので、遺産から漏れたのであろう〉ほか)などが「志免鉱業所関連遺産」として経済産業省近代化産業遺産に認定されている[3]。他に産業考古学会の推薦産業遺産に,土木学会のランキングでもAランクに登録されている.

所在地・交通

  • 所在地:福岡県糟屋郡志免町大字志免495番地3
  • 交通:福岡空港より西鉄バス2志免鉄道公園経由宇美営業所ゆきに乗車し「東公園台2丁目」下車、もしくは博多バスターミナル(博多駅)から32亀山・志免経由宇美方面宇美営業所,原田橋ゆきもしくは37福岡空港・月隈団地・志免経由宇美方面四王寺坂ゆきに.天神から34吉塚駅経由32博多駅経由宇美営業所,原田橋,上宇美ゆきに乗車し「下志免」下車
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