長命寺(ちょうめいじ)は、滋賀県近江八幡市長命寺町にある天台宗系単立の寺院

長命寺(ちょうめいじ)は、滋賀県近江八幡市長命寺町にある天台宗単立寺院山号は姨綺耶山(いきやさん)。西国三十三所第31番札所。聖徳太子の開基と伝わる。本尊は聖徳太子が刻んだとされる千手観音十一面観音聖観音の三尊を千手十一面聖観世音菩薩とし、秘仏となっている。

2015年平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか

ご詠歌:八千年(やちとせ)や柳に長き命寺(いのちでら) 運ぶ歩みのかざしなるらん

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長命寺滋賀県近江八幡市

歴史

琵琶湖畔にそびえる長命寺山(標高333m)の南西の山腹標高240m辺りに位置し、麓から本堂に至る808段の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から麓の港(標高87m)に船で上陸し長命寺に参詣した。

伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。

実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。

元暦元年(1184年)、佐々木定綱が戦死した父佐々木秀義の菩提を弔うために、三仏堂を建立したのを皮切りに、平安時代後期に仁王門、本堂、鐘楼、太子堂、護摩堂、宝塔などを建立し、伽藍が整った。鎌倉時代を通じて近江守護佐々木六角氏の崇敬を受けている。

長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺は比叡山延暦寺西塔の別院としての地位を保ち、室町時代に入っても変わらずに守護六角氏の崇敬と庇護を受けて栄えた。

しかし、永正13年(1516年)、六角高頼伊庭貞隆の対立による兵火・伊庭氏の乱により伽藍が全焼する。現存する堂宇は室町時代から江戸時代初期にかけて再建されたものである。

当寺は近江八幡市の市街地の北方、琵琶湖岸にそびえる長命寺山の頂上近くの南側山腹にあるが、この地は1951年昭和26年)に当時の八幡町に編入されるまでは蒲生郡島村であった。長命寺山の東側には大中之湖干拓地が広がっているが、干拓以前の島村は文字通りの島であった。長命寺山の麓の船着場は安土への水路(長命寺川)の入口にもあたり、交通の要衝でもあった。

元禄5年(1692年)の記録によると、当時は19の子院が存在したが、現在は真静院、妙覚院、穀屋寺のみが残っている。

麓にはかつての鎮守社である日吉神社がある。

三重塔(重要文化財)

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境内

長命寺本堂へは、湖岸から「八百八段」と呼ばれる石段の参道を登る。登りには約20分を要するが、現在は本堂近くまで自動車道が整備されている。主要堂宇は屋根を瓦葺きでなく檜皮葺きまたはこけら葺きとしており、独特の境内風景を形成している。本堂裏の「六所権現影向石」や「修多羅岩(すたらいわ)」をはじめ、境内各所に巨岩が露出しており、かつての巨石信仰の名残と考えられている。

本堂(重要文化財)

「八百八段」の石段

護法権現社拝殿、右は三仏堂

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鐘楼(奥)

文化財

重要文化財

所在地

  • 〒523-0808 滋賀県近江八幡市長命寺町157
  • 近江八幡駅より近江鉄道バス20分長命寺下車、808段の石段を徒歩20分。
  • 自家用車、タクシーなら林道を使って本堂まで石段を残り100段あまりの所まで行くことができる。石段の下にも駐車スペースがある。
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