善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院

善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。本尊日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏である(開帳は前立本尊で行う)。

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Zenko-ji Hondou 01, Nagano 2012.jpg

本堂 正面・南側

概要

山号は「定額山」(じょうがくさん)で、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」(かんす)と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。住職は「善光寺上人」(しょうにん)と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている(浄土宗では大本山善光寺大本願の法主)。平成26年(2014年)時点の「善光寺上人」(「大本願上人」)は鷹司家出身の121世鷹司誓玉である。

古えより、「四門四額」(しもんしがく)と称して、東門を「定額山善光寺」、南門を「南命山無量寿寺」(なんみょうさんむりょうじゅじ)、北門を「北空山雲上寺」(ほくくうさんうんじょうじ)、西門を「不捨山浄土寺」(ふしゃさんじょうどじ)と称する。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済[4] が挙げられる。

三国渡来の絶対秘仏の霊像と伝承される丈一尺五寸の本尊一光三尊阿弥陀如来像が本堂「瑠璃壇」厨子内に安置されている。その姿は寺の住職ですら目にすることはできないとされ、朝の勤行や正午に行なわれる法要などの限られた時間に金色に彩られた瑠璃壇の戸張が上がり、瑠璃壇と厨子までを拝することが通例とされる。数えで七年に一度の御開帳には、金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏の本尊の分身として公開される。

また、日本百観音西国三十三所坂東三十三箇所秩父三十四箇所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、「結願したら、長野の善光寺に参る」といわれている。

本堂 東側

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伽藍

本堂

現在の本堂は宝永4年(1707年)竣工。設計は甲良宗賀(幕府棟梁甲良氏3代)が担当した。本尊の阿弥陀三尊像(一光三尊阿弥陀如来像)を安置する。昭和28年(1953年)、国宝に指定された。二階建のように見えるが、建築形式的には一重裳階付(いちじゅうもこしつき)である。屋根は檜皮葺で、屋根形式は撞木造(しゅもくづくり)という特異なものである。これは入母屋造の屋根を丁字形に組み合わせたもので、堂の手前の部分は南北棟、奥の部分は東西棟になり、上方から見ると大棟の線が丁字状になっている。平面構成は正面5間、側面14間の身舎(もや)の周囲に幅1間の裳階を巡らした形になり、裳階部分を含めた平面規模は正面7間、側面16間となる(以上の説明文中の「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す)。間口24メートル、奥行54メートル、棟高26メートルで、一般的な日本の仏殿と比べて間口に比して奥行が長い。建物南正面の奥行1間分は壁や扉を設けない「吹き抜けの間」とし、その先の奥行4間分が外陣、その次の奥行5間分が内陣、建物のもっとも奥が内々陣となる。内々陣は西(向かって左)に秘仏本尊の阿弥陀三尊像を安置する瑠璃壇があり、その前に常燈明(不滅の法燈)がある。東(向かって右)は開山像を安置する「御三卿の間」である。「御三卿の間」には開山の本田善光と妻の弥生御前、子の善佐の像を安置する。この他、外陣に閻魔王像、内陣地蔵菩薩像と弥勒菩薩像などを安置する。国宝の附(つけたり)指定となっている厨子は「御三卿の間」にあるもので、寄棟造、本瓦形板葺きとする。

その他の建物

かつては南大門、五重塔、中門・回廊、本堂と一直線に並んだ配置であった(『一遍聖絵』)。また、長野県立歴史館は、現在より南側に善光寺があったと展示・解説する。

仁王門

山門(三門)

文化財

国宝

  • 本堂(附:厨子1基)

重要文化財

  • 三門(山門)寛延3年(1750年)に完成した。平成19年(2007年)に修復工事がなされ、大正から昭和にかけての修理で檜皮葺きになっていた屋根が、創建当初の栩葺きに改められた。栩葺き(とちぶき)とはサワラの板材で屋根を葺く方式である。平成の修復を記念して、平成20年(2008年)4月24日から11月30日まで三門内部の特別公開が行なわれた。内部には、四国八十八箇所の各寺院の本尊の代像が安置されている。また、江戸時代から昭和に至るまでの参拝者による落書きが多数残されている。落書きのうち、江戸時代のものは2階に昇った正面にある「江戸 と組よね」や3階(仏間)の北西側の壁面にある嘉永年号のものなどである。
  • 経蔵
  • 金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)
  • 絹本著色阿弥陀聖衆来迎図 1幅(大本願所有)
  • 善光寺造営図(大勧進所有)8幅 享禄4年(1531年)4月
  • 源氏物語事書(大勧進所有)

登録有形文化財

  • 鐘楼 – 嘉永6年(1853年)建、大正15年(1926年)改修
  • 仁王門 – 大正7年(1918年)建、昭和52年(1977年)改修

重要美術品

  • 梵鐘 – 寛永9年(1632年)銘
  • 銅造地蔵菩薩坐像(通称:濡仏)享保7年(1722年)銘

史跡(市指定)

  • 善光寺参道(敷石)正徳4年(1714年)完成。当時の敷石の枚数は7777枚、現在では6千枚強。

建造物(市指定)

  • 石造宝篋印塔山門を通り、左手(西)の方角に二基ある。

その他

  • 算額 天保3年(1832年)3月 吉田玄魁堂門人田原小野右衛門忠継他5名奉納
  • 算額 天保4年(1833年)仲秋 武内担度道門人山下喜総太宣満他4名奉納
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忠霊殿・善光寺史料館

鐘楼

開帳

開帳には、寺がある場所で開催する「居開帳」の他に、大都市に出向いて開催する「出開帳」があった。出開帳には、江戸大坂で開催する「三都開帳」や諸国を回る「回国開帳」がある。何れも、境内堂社の造営修復費用を賄うための、一種の募金事業として行われた。明治時代以降から2009年まで「御開帳」と呼ばれるものは全て居開帳であったが、2013年には東京の両国回向院にて「出開帳」が開催された。

正式名は、善光寺前立本尊御開帳。7年目ごとに1度(開帳の年を1年目と数えるため、6年間隔の丑年未年)、秘仏の本尊の代りである「前立本尊」が開帳される。前立本尊は本堂の脇にある天台宗別格寺院の大勧進に安置され、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の「一光三尊阿弥陀如来」となっている。開帳の始まる前に「奉行」に任命された者が、前立本尊を担いで本堂の中まで運ぶ。

回向柱(えこうばしら)は、松代藩が普請支配として建立されて以来の縁により、代々、松代町(藩)大回向柱寄進建立会から寄進される。2003年は赤松が使用され、2009年は小川村産の樹齢270年のが使用された。

期間中は前立本尊と本堂の前に立てられた回向柱が「善の綱」と呼ばれる五色ので結ばれ、回向柱に触れると前立本尊に触れたのと同じ利益(りやく)があり、来世の幸せが約束されるとされる。また、釈迦堂前にも小さい回向柱が立てられ、堂内の釈迦涅槃像の右手と紐で結ばれ、回向柱に触れることにより釈迦如来と結縁し、現世の幸せが約束されるとされる。故に、この二つの回向柱に触れることにより、現世の仏である釈迦如来と来世の仏である阿弥陀如来と結縁し、利益・功徳が得られると言われる。

回向柱と山門(三門)。 (2015年4月)

アクセス

長野駅を出ると善光寺表参道(中央通り)という一本道が通っており、緩やかな坂道となっている。

拝観

  • 9-16時 本堂内陣・戒壇めぐり・経蔵・史料館共通500円
所在地長野県長野市元善町491
位置北緯36度39分42.12秒 東経138度11分15.76秒
山号定額山
宗派無宗派
本尊一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏
創建年(伝)皇極天皇3年(644年
開基(伝)皇極天皇(勅願
別称信州善光寺、信濃善光寺
札所等西国三十三所(番外)
坂東三十三箇所(番外)
秩父三十四箇所(番外)
西山国師遺跡霊場(客番)
真盛上人二十五霊場(番外)
文化財本堂(国宝
三門、銅造阿弥陀如来及び両脇侍立像ほか(重要文化財
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