大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場

大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある、江戸時代における会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場の呼称。明治期の鉄道開通に伴って宿場としての地位を失ったが、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並ぶ同集落の通称、あるいは観光地名として現在も受け継がれている。1981年昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定され、福島県を代表する観光地の1つとなっている(一部に宿泊施設復活)。

なお、当地の方言である会津弁で大内は「おおち」(歴史的仮名遣い:おほち/あふち)と発音・表記されるため、標準語共通語の「おおうち」との対立がある。

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概要

南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道にを向けた寄棟造民家が建ち並ぶ。江戸時代には会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。

大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。

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観光地化

1970年代の2度のオイルショックを経て日本は安定成長期に入り、一億総中流が定着した。

1980年(昭和55年)7月12日、「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定。同条例に基づき決定された伝統的建造物群保存地区は1981年(昭和56年)4月18日、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。旧宿場としては長野県妻籠宿および奈良井宿に続いて全国で3番目の選定である。同年5月14日には「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例施行規則」も制定された。同年9月、「大内宿保存会」が設立されて住民による町並み保存活動が始まり、「大内宿を守る住民憲章」も制定された。

1984年(昭和59年)9月5日には、旧本陣を復元した建物に「下郷町町並み展示館」(大内宿町並み展示館)が開館した。積雪期に観光客が減少する対策として、1986年(昭和61年)より2月に「大内宿雪まつり」を開催するようになった。大内宿最寄りの会津線湯野上温泉駅が、国鉄分割民営化に伴って1987年(昭和62年)4月1日日本国有鉄道から東日本旅客鉄道に、さらに同年7月16日会津鉄道第三セクター鉄道)に承継されたが、このとき同駅舎も茅葺屋根に建て替えられ、同年12月19日に完成した。

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並行して、1982年(昭和57年)から1988年(昭和63年)にかけて旧宿場に沿って道路の新設が行われ、1989年平成元年)から翌年にかけて電柱電話柱・テレビ共同受信柱・地区有線放送柱を新設道路に移設し、「裏配線」により旧街道の無電柱化を実現した。その後、旧街道のアスファルト舗装を撤去して土の道を復元したり、観光駐車場を新設したりして環境整備をした。すると1992年(平成4年)、第1回「美しい日本のむら景観コンテスト」の文化部門で、農林水産大臣賞を受賞した。1996年(平成8年)には「大内宿の自然用水」として「日本の音風景100選」に選定。1998年(平成10年)には「大内宿結いの会」が結成され、住民による茅葺屋根の復元や葺き替え技術の伝承が開始された。2004年(平成16年)には「美しい日本の歩きたくなるみち500選」、2005年(平成17年)には「手づくり郷土賞」(大賞部門)を受賞し、「知っていそうで知らない日本の文化の発見」として「わたしの旅100選」にも選定された。

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観光客数は、1985年(昭和60年)に約2万人であったが、バブル景気が始まると急増し、1990年(平成2年)10月12日に会津鉄道が野岩鉄道会津鬼怒川線および東武鉄道鬼怒川線日光線伊勢崎線との直通運転を開始すると、翌1991年(平成3年)には50万人を突破した。その後は年間50万人前後で推移していたが、1997年(平成9年)に磐越自動車道が全線開通すると60万人を超えた。2003年(平成15年)に県道下郷会津本郷線氷玉バイパス(大内宿こぶしライン)が開通し、翌2004年(平成16年)に大きな観光誘客能力があるとされて東北地方で注目されていたNTTドコモ東北オリジナルCMシリーズの「娘の決意」篇において、雪の当地で宮崎あおいが子供達と雪合戦をするシーンが挿入されると、観光客数は80万人を超えて増加していった。

2005年(平成17年)のあいづデスティネーションキャンペーンにおいてさまざまにPRされると、2006年(平成18年)には90万人、2007年(平成19年)には100万人を突破し、県外からの観光客が90%を占める県内有数の観光地となった。観光客の増加に伴い、周辺道路に渋滞が発生するようになったため、2009年(平成21年)2月23日に「大内宿周辺地域渋滞対策協議会」が設立された。

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東日本大震災後

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生した。当地は、福島第一原子力発電所事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所 (1F) から直線距離で100km以上離れている(1Fからの直線距離は概ね宮城県仙台市茨城県日立市より遠い)。しかし、震災によって会津鉄道では、団体観光客のキャンセルが相次ぎ(同年3月11日から翌2012年3月31日までの予約に対するキャンセル人数は84.9%)、通常の3月からの観光シーズンに増発する列車を取り止めて定期列車のみの運行になり、また、通常なら春の観光シーズンで渋滞する観光駐車場の周辺もガラガラ、観光バスも全く見られなかった(会津鉄道が団体観光客のツアー催行を実施できたのは秋の紅葉シーズン以降)。観光入込客数も2009年度に年間約116万人だったのが、2011年度は約58万人まで半減した。2013年(平成25年)、会津地方が舞台の1つであるNHK大河ドラマ『八重の桜』の放送の影響で、同年度は年間95万人にまで特異的に増加したが、震災後はおしなべて80万人前後で横ばいから微増程度が続いている。

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防災

当地は文化財保護法に基く重要伝統的建造物群保存地区として選定されているため、可燃性の茅葺屋根の民家が密集している状態が維持されているが、その分火災の発生危険度は高い。

対策として1991年(平成3年)度から各戸に自動火災報知設備屋内消火栓放水銃等が整備されている。

また、消防団、婦人消防隊、大内宿火消組(消防団OB)、下郷町立江川小学校大内分校少年消防クラブなど各年齢層などで自主防災組織が結成され、1993年(平成5年)4月1日には「下郷町大内宿防災会」が発足している。これらは平時の消防訓練の他に、子供たちが花火をしてよいのは8月15日の年に1回に限るなど、自主的な防災活動を行っている。

このような活動が認められ、1999年(平成11年)には、「文化財(大内宿)を守る自主防災活動」が第4回「防災まちづくり大賞」の(消防科学総合センター理事長賞を受賞した。

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交通

観光シーズンには福島県道329号湯野上会津高田線渋滞し、国道にまで影響が及ぶことがある。会津若松方面からは、大内ダムを経由する福島県道131号下郷会津本郷線(大内宿こぶしライン)を選択した方が混まずに到達することができる。

一般車両および観光バスなどの駐車場は大内宿の南東にあり、宿場内への車の乗り入れは規制されている。観光シーズンには、より大内宿に近い有料駐車場で駐車待ちが発生する一方、大内宿から離れている無料臨時駐車場は空いている場合がある。

会津バスが大内宿を経由する路線バスを運行しているが1日数本しかなく、観光客には使い勝手が悪い。

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