五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭

五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府蝦夷地箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式城郭である。

予算書時点から五稜郭の名称は用いられていたが、築造中は亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とも呼ばれた。元は湿地ネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ。

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五稜郭タワーから望む五稜郭

概要

五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊。短期間箱館府が使用した後、箱館戦争旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。

現在残る星形の遺構から外側100~350メートルには、北と北西を除いて外郭の土塁がかつて存在したが、現在では国有保安林となっている箇所以外、面影は失われている。

国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。五稜郭は文化庁所管の国有財産であり、函館市が貸与を受け、函館市住宅都市施設公社(指定管理者)が管理している。

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五稜郭公園

1913年(大正2年)、函館区長・北守政直陸軍大臣に、五稜郭を公園として無償貸与して欲しいとの請願を行った。陸軍から、使用許可時点の状態を変更することは認めない、最小限の便益施設の設置や新たな樹木の植栽は全て函館要塞司令部の許可が必要である、かつ借用期間中の土地建物等の保存責任と費用負担は函館区が負う、などの条件付きで使用許可が出され、翌年五稜郭公園(ごりょうかく こうえん)として一般開放された。また、『函館毎日新聞』が発行1万号を記念して、1913年から10年かけて数千本のソメイヨシノを植樹した。このは現在も約1,600本が残っており、北海道内有数の花見の名所となっている。

1925年(大正11年)には内務省に所管が変わるとともに、史蹟名勝天然紀念物保存法に基づく史蹟に指定された。1929年(昭和4年)には郭外の長斜坂が追加指定され、文部省の所管となった。そして戦後、文化財保護法が制定されると、1952年(昭和27年)に特別史跡に指定された。

1954年(昭和29年)には、函館で開催された北洋漁業再開記念北海道大博覧会(北洋博)の第2会場となった。北洋博で「観光館・お菓子デパート」として用いられた建物は、翌1955年(昭和30年)から市立函館博物館五稜郭分館となり、奉行所の復元工事に伴い、2007年(平成19年)11月に閉館するまで箱館戦争関連の品々を展示していた。また、発掘調査・復元工事が行われる以前には中央部の広場で地元の運動会や夏季の林間学校などが行われ、堀も水質が良好だった時代にはプールスケートリンクとして使用されていた。

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函館を代表する観光地に

1964年(昭和39年)、五稜郭築城100年を記念して、南隣に高さ60メートルの五稜郭タワーが開業。 1970年(昭和45年)からは毎年5月に「箱館五稜郭祭」が開催され、箱館戦争の旧幕府軍・新政府軍に扮した「維新パレード」、土方歳三の物まねを競う「土方歳三コンテスト」などが行われている。 そのほか、1988年(昭和63年)から五稜郭の土手や堀を舞台に市民ボランティアが函館の歴史を演じる「市民創作函館野外劇」や、1989年(平成元年)からは、冬の夜間に五稜郭のライトアップを行う「五稜星の夢」が始まり、現在まで続いている。近年では、2006年(平成18年)に五稜郭タワーが高さ107メートルの新タワーに改築された。

五稜郭は、2004年(平成16年)に「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されたほか、観光地の評価としては、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンで、「五稜郭跡」、「眺望(五稜郭跡)」が二つ星を獲得している。

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現地情報

所在地北海道函館市五稜郭町・本通1交通アクセス

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別名亀田(御)役所土塁、柳野城
城郭構造稜堡式
天守構造なし
築城主江戸幕府
築城年1866年
主な改修者なし
主な城主なし
廃城年1869年
遺構土塁石垣、兵糧庫
指定文化財特別史跡
再建造物奉行所、板庫、土蔵
位置北緯41度47分48.84秒 東経140度45分25.06秒
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