福岡城(ふくおかじょう)は、福岡県福岡市中央区に築かれた江戸時代の日本の城

福岡城(ふくおかじょう)は、筑前国那珂郡警固村福崎のち福岡(現在の福岡県福岡市中央区)に築かれた江戸時代日本の城。別名、舞鶴城、石城。国の史跡に指定されている。現在、城跡は舞鶴公園大濠公園となっている。

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概要[ソースを編集]

江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名黒田長政が、警固村福崎の丘陵地に築いた城である。以降、明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。築城の際に、黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ福崎を「福岡」と改めた。普請奉行は野口佐助一成である。城地となった警固村福崎は、古くから商人の町として栄えていた博多の西側に位置する。

現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園大濠公園となっている。城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。なお、平和台球場跡から出土した国史跡鴻臚館跡がある三の丸跡は二重史跡である。

毎年春には「福岡城さくらまつり」や「おおほりまつり」が開催され、光雲神社から城跡まで黒田孝高、黒田長政、黒田二十四騎に扮した有名人などの勇壮なパレードも行われる。二の丸の鴻臚館広場にて演武なども行われる。

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歴史・沿革

安土桃山時代・江戸時代

1600年(慶長5年) – 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、筑前一国52万3千石で筑前名島に入封した。筑前の旧領主小早川秀秋の居城であった名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城地に選定した。1601年(慶長6年)には築城が開始され、7年後の1607年(慶長12年)に竣工した。

江戸期には歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われたが、特に幕末嘉永万延年間に、11代藩主、黒田長溥により大改修が行われた。

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構造

梯郭式の平山城で、本丸の南西に南丸(南二の丸)、北東隅に同じような規模で東二の丸、この2つを結ぶようにして囲む二の丸、二の丸の西から北東に三の丸が囲む配置であった。建物は47基の櫓や10棟の城門を配し、縄張りの範囲は約24万平方メートルにおよぶ。東側に那珂川をもって堀とし高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟の「草ヶ江」を大きな池沼堀として活用した。城下町は城の北側(博多湾側)に東西に長く開かれた。

福岡市は2013年(平成25年)、舞鶴公園と大濠公園の周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする『福岡セントラルパーク構想』を発表した。本丸・二の丸・三の丸は20年から30年の長期計画で城跡の復元整備を行っていく予定としている。

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本丸

本丸にあった建造物の中で資料が多く残されている本丸表御門・太鼓櫓・武具櫓・本丸裏御門・本丸御殿について福岡市は「調査検討を行った上で、復元整備対象とする」とし、特に本丸表御門と太鼓櫓については「復元の可能性が高い」としている。

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別名舞鶴城、石城
城郭構造梯郭式平山城
天守構造不明
築城主黒田長政
築城年1601年
主な改修者黒田長溥
主な城主黒田氏
廃城年1871年
遺構櫓4棟・門3棟、石垣、堀
指定文化財国の重要文化財(多聞櫓・二の丸南隅櫓)
国の史跡
福岡県文化財(潮見櫓・大手門・
祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門)
福岡市文化財(名島門)
再建造物二の丸北隅櫓、大手門
位置北緯33度35分3.77秒 東経130度22分59.17秒
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