駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区にあった日本の城

駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区にあった日本の城である。別名として府中城(ふちゅうじょう)や静岡城(しずおかじょう)がある。江戸時代には駿府藩駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。江戸初期には大御所政治駿府政権)の中心地となった。

現在では、本丸二の丸城跡都市公園駿府城公園」として整備されている。

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巽櫓 東御門(復元)

巽櫓 東御門(復元)

歴史

安土桃山時代

  • 1585年(天正13年) 駿河国を支配した徳川家康浜松城より居城を移して築城開始。
  • 1586年(天正14年) 駿府城本丸御殿が完成。家康、駿府城に移る。
  • 1588年(天正16年) 駿府城天守の工事開始。
  • 1589年(天正17年) 駿府城天守・城郭が完成。
  • 1590年(天正18年) 小田原征伐後、江戸に移封となった徳川家康に代わり、中村一氏が大名として入城。

東御門 高麗門(復元)

東御門 櫓門(復元)

江戸時代

大御所政治時代

  • 2月 駿府城拡張工事開始。
  • 3月 家康、入る。
  • 12月 失火により御殿・天守など本丸の全てを焼失。直ちに再建にかかる。
  • 1608年(慶長13年) 本丸御殿・天守等完成。家康、18年ぶりに駿府城へ移る。
  • 1609年(慶長14年) 家康の第十子・徳川頼宣が駿府城主となる。
  • 1610年(慶長15年) 天守完成。
  • 1614年(慶長19年) 家康、二条城に移る。
  • 1616年(元和2年) 家康、駿府城で死去(75歳)。

中堀

家康没後の江戸時代

  • 1619年(元和5年) 頼宣が和歌山城主に移封。
  • 1624年(寛永元年) 徳川秀忠の第二子・徳川忠長が駿府城主となる。
  • 1631年(寛永8年) 忠長が乱心、兄である徳川家光に改易と蟄居を命じられる。
  • 1632年(寛永9年) 忠長が高崎城で自刃。以後、駿府は公儀御料(江戸幕府直轄領)となり、駿府城代・駿府定番(副城代に相当)が置かれる。
  • 1635年(寛永12年) 城下の火災が城に延焼し、大半を焼失。
  • 1638年(寛永15年) 御殿・櫓・城門等が再建されるも、城主がいないため、天守は再建されず。
  • 1707年(宝永4年)宝永地震により駿府城石垣等が大破し、建物も1/3焼失。
  • 1708年(宝永5年)駿府城修復。
  • 1854年(安政元年)安政の大地震により駿府城内外の建物、石垣などほぼ全壊する。
  • 1857年(安政4年)修復工事の着手。
  • 1858年(安政5年)修復工事の完了。

外堀

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天守

駿府城の天守は3度建てられた。まず、天正年間(1573年1592年間)または天正17年(1589年)に建てられた天正期天守。次が、1607年(慶長12年) の慶長1期天守でこの天守は完成後まもなく焼失した、もしくは建築前に本丸が火災に遭い中止したと見られる。最後は、その翌年から1610年(慶長15年)に再建された慶長2期天守である。1896年(明治29年) まで現存した天守台は、この慶長2期のものである。

天正期天守に関しては小天守があったという記録のみで、慶長1期天守も資料が少ない。そのため、現在主に研究対象とされているのは、駿府城最後の天守となった慶長2期天守である。大日本報徳社蔵の『駿州府中御城之図』より、淀城の天守と同じく天守台に余裕を持たせて天守をほぼ中央に建て、4隅に二重櫓を建てて多聞櫓を建て廻したという説が最も有力とされている。この説に対して、2階に廻縁高欄があること、家康が富士山の眺望を無視するはずがないことなどから八木清勝は疑問を指摘している。

天守の外観は『慶長日記』や『当代記』などより次の事が判明している(なお、両文献も柱間は7尺間としている)。

塀 内側

本丸跡にある鷹狩り姿の徳川家康公之像

天守の外観は『慶長日記』や『当代記』などより次の事が判明している(なお、両文献も柱間は7尺間としている)。

  • 1階 – 10間×12間、四方に落縁
  • 2階 – 同上、四方に欄干
  • 3階 – 同上(9間×11間)、腰屋根は
  • 4階 – 8間×10間、腰屋根・破風鬼板白鑞製、懸魚・鰭・逆輪・釘隠は
  • 5階 – 6間×8間、腰屋根・懸魚・鰭・唐破風・鬼板は白鑞製、逆輪・釘隠は銀製
  • 6階 – 5間×6間(5間×8間)、屋根・破風・鬼板は白鑞製、懸魚・鰭・逆輪・釘隠は銀製
  • 7階 – (4間×5間)、屋根・破風は製、軒瓦は鍍金、懸魚・鰭・破風の逆輪・釘隠は銀製、筋・鴟吻・熨斗板・逆輪・鬼板は

※括弧内の記述は『武徳編年集成』による。

他に狩野探幽筆『日光東照社縁起』(日光東照宮蔵)や住吉如慶筆『東照宮縁起絵巻』(紀州東照宮蔵)に天守の最上階から下3重目までの外観が描かれている。また駿府築城の様子を描いたものとされる『築城図屏風』(名古屋市博物館所蔵)に三重櫓を伴う重層な天守が描かれているが、近年では、金沢築城の様子であるという説が有力視されている。

駿府加番

駿府加番は江戸幕府の職制で、大名1名と寄合旗本2名が交代で務める駿府城外の警護役である。駿府城外堀外縁を囲む3箇所に置かれ、詰所・鉄砲場・馬場他を備える広大な役宅を有した。当初は一加番(町口)・ニ加番(鷹乃森)の2箇所であったが、1651年(慶安4年)の慶安の変で首謀者・由井正雪が駿府城下で自害した事件を機に城外警備の強化が図られ、三加番(草深)が増設された。

現在は各屋敷に勧請されていた稲荷社のみが残存している。

所在地

交通アクセス

公共交通機関●静岡空港からアクセスバス(有料)で●静岡駅まで約54分。●静岡駅から徒歩で約10分。東海道新幹線 CA JR東海道本線 ●静岡駅から徒歩で約10分。❚❚ 静岡鉄道静岡清水線 ●新静岡駅から徒歩で約5分。自家用車等国道1号を西へ走って●静岡駅[gm 1]付近に着けば、北北西の方向に駿府城公園がある。国道362号を東へ走って「安西四丁目」交差点[gm 2]から「昭和通り」(国道362号)に入り、●静岡駅がある南西方面へ進む。安西から数えて5つ目の信号がある「本通三丁目」交差点を左折し、2つ目の信号まで進めば目の前(北東方向)に駿府城公園(坤櫓)が見える。

別名府中城、静岡城
城郭構造輪郭式平城
天守構造不明(1589年築)
慶長1期(1607年再)
慶長2期(7階・1610年再)
(いずれも非現存)
築城主徳川家康
築城年1585年(天正13年)
主な改修者徳川家康
主な城主徳川氏中村氏
内藤氏(松平氏)
廃城年1869年明治2年
遺構石垣、堀
指定文化財なし
再建造物巽櫓、東御門、坤櫓
位置北緯34度58分45秒 東経138度23分0秒
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