鳴子峡(なるこきょう)は、宮城県大崎市(旧鳴子町)に位置する峡谷

鳴子峡(なるこきょう)は、宮城県大崎市(旧鳴子町)に位置する峡谷。宮城県の名勝に指定されている。仙台弁の発音特性から「なるごきょう」と呼ばれることもある。

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地形

花渕山の南山麓を荒雄川(江合川の別称。北上川水系)の支流、大谷川が侵食して形成されたもの。落差80から100メートルあまりの断崖が、長さ4から6キロメートルにわたって続き、狭いところでは幅10メートルの典型的なV字谷、広いところでは幅100メートルのU字谷となっている。

白色の石英粗面岩質凝灰角礫岩台地が侵食されて生じた奇岩に富み、立岩、衝立岩、獅子岩、仁王岩、虫喰岩、九曜岩、烏帽子岩、天柱岩などと呼ばれている。

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観光

一帯は落葉広葉樹林になっており、アカシデミズナラハウチワカエデなどが群生している。宮城県を代表する紅葉の名所として知られ、宮城県の名勝に指定、全域が栗駒国定公園に含まれている。

鳴子峡を含む荒雄川上流は鳴子温泉郷と呼ばれ、鳴子峡の上流側には中山平温泉、下流側には鳴子温泉東鳴子温泉などの温泉街が開けている。これらを結ぶ国道47号の沿道には、日本こけし館や熱帯植物園などの観光施設が立ち並んでいる。

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交通と歴史

旧街道

荒雄川(江合川)沿いには、少なくとも戦国時代末期から中山越出羽道(出羽海道)と呼ばれる街道が整備されていた。この街道は仙台藩(宮城県)の大和町新庄藩(山形県)の最上町を結ぶもので、奥州街道から分岐して江合川に沿って遡り、堺田越奥羽山脈をこえて最上川流域へ通じていた。この街道は最終的に最上川と西廻海運の水運によって大坂や江戸とを結ぶ交通路の一部を成していた。

街道は江合川の左岸を登ってきて、大谷川との分岐点からは尿前(しとまえ)の関所・尿前宿を経て大谷川沿いに入っていた。鳴子峡の左岸の崖上は緩斜面が広がっており、街道はここに通じていた。平安時代末期の奥州合戦の際には奥州藤原氏がここに城柵を築き、交通の要衝を守備したと伝えられ、江戸時代中期の天明期にも遺構があったという。中世には大崎氏もここに館を築いていたと伝わる。

この尿前宿・尿前関を古来から和歌に詠まれてきた「いはての関」に比定する説もある。松尾芭蕉の『おくのほそ道』や富田伊之の『奥州紀行』にも当地が描かれている。江戸時代初期には、かなりの難路だったために通行は多くはなかったが、中期以降はこの街道の利用客も増え、街道や駅宿、温泉が発展したと考えられている。

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鉄道

鳴子峡にはJR東日本陸羽東線が通じている。1917(大正6)年に、鳴子駅から鳴子峡、堺田越をこえて山形県内に通じる区間が開通することで全通開業したものである。

国道

鳴子峡に沿って国道47号が通じている。

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アクセス

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