原爆ドーム(げんばくドームの名で知られる広島平和記念碑 | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

原爆ドーム(げんばくドーム、英: Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑

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原爆ドーム(げんばくドーム、: Atomic Bomb Dome)の名で知られる広島平和記念碑(ひろしまへいわきねんひ、: Hiroshima Peace Memorial)は、1945年(昭和20年)8月6日8時15分日本の広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑被爆建造物)である。もともとは広島県のさまざまな物産を展示するため[1]広島県物産陳列館として開館され、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲劇が起こらないように」と戒めや願いをこめて、特に負の世界遺産と呼ばれている。

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原爆ドーム広島県広島市

位置

所在地は広島県広島市中区大手町1丁目10。原子爆弾投下の目標となった相生橋の東詰にあたり、西からにかけては元安川を挟んで広島平和記念公園が広がっている。北は相生通りを挟んで広島商工会議所ビル、広島市民球場跡地と向き合う。側約200メートルの位置に、爆心地に比定される島外科(島病院)がある。

被爆以前の歴史

建設の経緯

広島市は、日清戦争大本営がおかれたことを契機に軍都として急速に発展していった(広島大本営の項を参照)。経済規模の拡大とともに、広島県産の製品の販路開拓が急務となっていた。その拠点として計画されたのが「広島県物産陳列館」である。1910年(明治43年)に広島県会で建設が決定され、6年後の1915年大正4年)に竣工した。

竣工

1915年大正4年)4月5日に竣工、同年8月5日に開館した。設計はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル。工事の施工を椋田組が請け負った。ドームの先端までの高さは約25メートルあり、ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物であった。レッツェルの起用は、当時の寺田祐之県知事によるものであり、寺田は前職の宮城県知事時代、レッツェルの設計した松島パークホテルを見て彼に物産陳列館の設計を任せることを決めたといわれる。さらに同じころ、レッツェルは宮島ホテル(1917年竣工。現存せず)の設計も手がけている。設計料は4,575円。当時広島市の土地は坪当たり24銭から4円で、石工の日当は90銭から1円10銭、新橋 – 広島間の汽車の運賃は三等車で5円17銭、一等車でも13円33銭であった。

大正期の広島県立商品陳列所(左)と現在の原爆ドーム(右)。対岸のほぼ同じ場所より撮影

大正期の広島県立商品陳列所

大正期の広島県立商品陳列所(左)と現在の原爆ドーム(右)。対岸のほぼ同じ場所より撮影

現在の原爆ドーム

原爆投下までの沿革

1919年大正8年)3月4日から物産陳列館で開催された「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」では、日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた。これは、第一次世界大戦中に中国青島日本軍の捕虜となり、広島湾に浮かぶ似島似島検疫所内「俘虜収容所」に収容されていたドイツ人の菓子職人 カール・ユーハイムによるものである。

1921年(大正10年)に広島県立商品陳列所と改称し、同年には第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなった。1933年昭和8年)には広島県産業奨励館に改称された。このころには盛んに美術展が開催され、広島の文化拠点としても大きく貢献した。しかし戦争が長引くなか、1944年(昭和19年)3月31日には奨励館業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として原爆投下の日を迎える。

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世界遺産への登録

経緯

1992年(平成4年)に日本国政府世界遺産条約受諾したことを契機に、同年9月に広島市議会が「原爆ドームを国の世界遺産候補リストに登録するよう要望する」意見書を採択。市長は翌年1月に要望書を文化庁に提出した。全国的な署名運動も始まり、1994年に165万人分超の署名を添えた国会請願が衆議院参議院両本会議で採択された。1992年当初、日本国政府は「世界遺産への推薦には『その遺産が国内法(文化遺産であれば日本では文化財保護法)で保護されていること』が条件」であるとしており、「原爆ドームは歴史が浅く、文化財に指定できないため、推薦要件を満たさない」として原爆ドームの推薦には消極的であった。文化庁が消極的だった背景には、当時のアメリカ合衆国中華人民共和国大韓民国を刺激したくないという政治的配慮が強く働いていたが、結果としてこれが署名運動の盛り上がりにつながり、上記のような多数の署名者を得ることになった。

1995年3月、文部省(当時)は文化財保護法に基づく史跡名勝天然記念物指定基準を改正し、同年6月に原爆ドームを国の史跡に指定した。これを受けて、日本国政府は同年9月に原爆ドームを世界遺産に推薦した。原爆ドームの登録審議は、1996年12月にメキシコメリダ市で開催された世界遺産委員会会合において行われた。このとき、アメリカ合衆国は原爆ドームの登録に強く反対し、調査報告書から「世界で初めて使用された核兵器」との文言を削除させた。また、中華人民共和国は「日本の戦争加害を否定する人々に利用されるおそれがある」として審議を棄権した。審議の結果、原爆ドームは文化遺産として登録された。

現職アメリカ大統領として初めて広島を訪問したバラク・オバマ(中央)。左は安倍晋三、右は岸田文雄

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

基準(6)のみの適用で登録されているのは例外的なケースだが、比較的歴史の浅い負の世界遺産にはしばしば見られる傾向である。

アクセス

鉄道

JR広島駅から、広島電鉄市内線のうち、0号線(紙屋町経由日赤前ゆき、広電前ゆき)、1号線(紙屋町経由広島港ゆき)と5号線(比治山下経由広島港ゆき、宇品二丁目ゆき、皆実町六丁目ゆき)を除く、すべての電車に乗車、原爆ドーム前電停下車。この区間は、今も走る原爆の被害を受けた被爆電車による平和学習のための貸切電車によく用いられる[9]。なお、0号線や1号線では紙屋町東電停本通電停いずれかの電停から原爆ドームまで5分程度で歩ける。かつての電停名は、投下目標としても使われた相生橋だったが、原爆ドームへの行き方をたずねてくる利用客が多いことから、1974年より「原爆ドーム前」と改名した。アストラムラインの最寄駅は本通駅であり徒歩5分。

バス

広電バス広島バスほかの路線で、原爆ドーム前、紙屋町、本通りバス停下車。8月6日の平和記念式典では、平和大通りは交通規制が行われる。平和大通りを経由するバスは迂回運行となるので注意。平和大通り側からは平和記念公園バス停下車。広島駅から原爆ドーム前バス停に停車するバスの行先表示には「Via A-Bomb Dome」と英語で記されており、平和記念公園バス停に停まるバスには「Via Peace Memorial Park」と記されている。郊外路線や高速バスの発着する広島バスセンターからは徒歩5分程度。

自家用車

地下街紙屋町シャレオシャレオ駐車場のほか広島センタービルの駐車場、エディオンお客様駐車場など、付近に大きな駐車場がいくつかある。ただし土曜、日曜、祝日は混雑している。観光バスに関しては平和記念公園内に駐車場がある。

航空

広島空港からはエアポートリムジン広島バスセンター行に乗車すれば、下車後、徒歩5分程度。広島駅(新幹線口)行に乗車した場合は、下車後に広島駅の南口に出て、前述の路面電車で行くのが一般的である。岩国空港からは岩国駅までいわくにバスに乗り、山陽本線西広島横川まで40 – 50分。西広島横川からバスか路面電車で10分程度。

広島電鉄「原爆ドーム前電停」と原爆の日にすれ違った被爆電車

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