姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている。また、ユネスコの世界遺産リストにも登録され、日本100名城[などに選定されている。別名を白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。

天守(連立天守群・国宝)
名称の由来と別名
姫路城天守の置かれている「姫山」は古名を「日女路(ひめじ)の丘」と称した。『播磨国風土記』にも「日女道丘(ひめじおか)」の名が見られる。姫山は桜が多く咲いたことから「桜木山」、転じて「鷺山(さぎやま)」とも言った。天守のある丘が姫山、西の丸のある丘が鷺山とすることもある。
橋本政次『姫路城の話』では、別名「白鷺城(はくろじょう)」の由来として、推論も含め、以下の4説が挙げられている。
- 姫路城が「鷺山」に置かれているところから。
- 白漆喰で塗られた城壁の美しさから。
- ゴイサギなど白鷺と総称される鳥が多く住んでいたから。
- 黒い壁から「烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれる岡山城との対比から。
白鷺城は「はくろじょう」の他に「しらさぎじょう」とも読まれることがあり、村田英雄の歌曲に『白鷺(しらさぎ)の城』というものもある。これに対し、前出の橋本は漢学的な名称であることから、「しらさぎじょう」という読みを退け、「はくろじょう」を正しい読みとしている。現在は、『日本歴史大事典』(小学館)、『もういちど読む山川日本史』(山川出版社)のように「しらさぎじょう」の読みしか掲載していないもの、『日本史事典』(三訂版、旺文社)、『ビジュアルワイド 日本名城百選』(小学館)のようにどちらかを正しいとせずに「はくろじょう」「しらさぎじょう」を併記しているものなども見られる。姫路市内では市立の白鷺(はくろ)小中学校のように学校名に使用されたり、小中学校の校歌でも「白鷺城」または「白鷺」という言葉が使われていることが多い。戦前の姫路市内の尋常小学校で歌われていた『姫路市郷土唱歌』の歌詞にも「白鷺城」や「池田輝政(三左衛門)」などが使われている。
他にも以下のような別名がある。
不戦の城
幕末に新政府軍に包囲されたり、第二次世界大戦で焼夷弾が天守に直撃したりしているものの、築城されてから一度も大規模な戦火にさらされることや甚大な被害を被ることがなかったことから。

世界遺産登録・文化財指定
世界遺産
姫路城 (日本) | |
---|---|
天守 | |
英名 | Himeji-jo |
仏名 | Himeji-jo |
面積 | 107 ha (緩衝地域 143 ha) |
登録区分 | 文化遺産 |
文化区分 | 建造物群 |
登録基準 | (1), (4) |
登録年 | 1993年 |
公式サイト | 世界遺産センター(英語) |
地図 | |
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日本の世界遺産条約締約は1992年(平成4年)のことであり、姫路城はその年の10月1日に正式推薦された。世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は推薦に先立つ同年9月と、推薦後の1993年(平成5年)4月と8月に現地調査を行なった(なお、これとは別に後述するオーセンティシティの評価のため、ICOMOS事務総長が同年5月に視察した)。その結果を踏まえ、同年10月に「登録」が勧告された。そこで評価されたのは、
といった点であった。そして、同年12月の第17回世界遺産委員会(カルタヘナ)で、「法隆寺地域の仏教建造物」とともに日本初の世界文化遺産として正式登録された。
資産としての登録地域は、中曲輪より内側となっており、その範囲は特別史跡指定地域と重なっている。さらにその周囲が緩衝地域(バッファーゾーン)に指定されている。従来、緩衝地域の規制は緩やかなものであったが、1993年に中壕通り都市景観形成地区(都市景観条例による)が指定され、2008年には資産部分を含め、姫路城周辺風景形成地域の指定が行われた。2012年の第36回世界遺産委員会に際して、登録範囲の明確化が行われた。


登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- ユネスコ世界遺産センターによれば、この基準の適用理由は「姫路城は木造建築の傑作」であり、「実用的機能と優れた美的外観とを兼ね備えている」ことなどである。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- 同じくこちらの基準の適用理由は、「日本の木造城郭建築の最高点を示しており、重要な特徴を全て無傷で保存している」ことである。
なお、上述の通り、ICOMOSの勧告の時点では封建制の象徴という側面も評価されており、それによる基準 (3) の適用が勧告されていたが、正式登録では採用されなかった。

影響
かつて、世界遺産登録に際してのオーセンティシティ(真正性、真実性)の評価はヴェネツィア憲章に基礎を置いていた。しかし、その概念はヨーロッパに多く見られる「石の文化」にはよく当てはまるが、解体修理を行う日本的な「木の文化」を正当に評価できない恐れがあった。日本の条約締約および姫路城・法隆寺の推薦・登録は、その再検討の必要性を世界遺産委員会に認識させることになったのである[211]。それが翌年の世界文化遺産奈良コンファレンスの開催、およびそこで採択された「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」(真実性に関する奈良文書)に繋がった。これは、アジア、アフリカの文化遺産登録にとってきわめて重要な意義を持つことになった文書である。
なお、姫路市では世界遺産条約採択40周年記念事業の一環として、2012年に奈良ドキュメント見直しを視野に入れて、オーセンティシティと現実社会の関連を討議する国際会議「姫路会合」が開かれた。

国宝
以下の5件8棟が1951年(昭和26年)6月9日に文化財保護法に基づき国宝に指定されている。
- 大天守(だいてんしゅ)
- 東小天守(ひがしこてんしゅ)
- 西小天守(にしこてんしゅ)
- 乾小天守(いぬいこてんしゅ)
- イ・ロ・ハ・ニの渡櫓 4棟(附指定:台所1棟)
上記の天守と渡櫓計8棟は、1931年(昭和6年)1月19日、国宝保存法に基づき、当時の国宝(旧国宝、文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定され、同12月14日には渡櫓、門、塀等74棟も国宝(旧国宝)に指定された。その後、1950年(昭和25年)8月29日の文化財保護法施行に伴い「旧国宝」は「重要文化財」とみなされることとなった(文化財保護法附則第3条)。1951年(昭和26年)6月9日付けで、文化財保護法および国宝及び重要文化財指定基準(昭和26年5月10日文化財保護委員会告示第2号)に基づき、上記の大天守以下の5件(8棟)が改めて国宝(新国宝)に指定された。

特別史跡
姫路城跡史蹟:1928年(昭和3年)9月20日指定(史蹟名勝天然紀念物保存法による)。特別史跡:1956年(昭和31年)11月26日指定(文化財保護法による)。
現地情報
姫路市の姫路城管理事務所が置かれているが、外国人の来訪が多い(2016年度は約211万人のうち約36万5000人)こともあり、外国語を含めた観光客への案内やホームページ作成といった実際の運営は企業に委託されている。2017年12月時点では乃村工藝社が請け負っており、2018年3月以降は近畿日本ツーリスト(KNT)関西が担当する。
- 所在地 – 姫路市本町68番地
- ライトアップ – 毎日、日没から午前0時まで点灯している。季節や行事によって色が変わることもある。
- スタンプ – 日本100名城のスタンプは管理事務所横に、世界遺産スタンプは大天守最上階に置いてある。
交通アクセス
- 西日本旅客鉄道(JR西日本):山陽新幹線・山陽本線・姫新線・播但線 姫路駅北口より徒歩約20分。
- 山陽電気鉄道:本線 山陽姫路駅より徒歩約15分。
- 神姫バス「姫路城大手門前」下車すぐ。12 – 2月は土日・祝祭日、3 – 11月は毎日、平日は30分に1本、土日・祝祭日は15分に1本神姫バスにより「姫路城ループバス」も運転される。
- 有料公営駐車場が城周辺に5箇所合わせて約1,600台分、駅周辺に5箇所合わせて約1,100台分、有料公営駐輪場が駅から城の区域に3箇所合わせて自転車約2,900台分、単車約600台分ある。

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