沖ノ島は、九州本土から約60キロメートル離れた玄界に浮かぶ周囲4キロメートルの島 | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市に属する、九州本土から約60キロメートル離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロメートルの島

沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市に属する、九州本土から約60キロメートル離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロメートルの。福岡県最北端の地である。宗像大社の神領(御神体島)で、沖津宮(おきつぐう)が鎮座する。

2017年平成29年)、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、ユネスコにより世界文化遺産に登録された。

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沖ノ島福岡県宗像市神湊

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概要

「神の島」と呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮の御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも一般人は毎年5月27日の現地大祭以外は上陸を基本的に認められず、その数も200人程度に制限されてきた。世界遺産登録に際して、島への接近・上陸対策の強化をユネスコから要請されたため、2018年からは研究者らを除く一般人の上陸は全面禁止とすることを宗像大社が2017年7月に決定した。

山の中腹には宗像大社沖津宮社殿があり、宗像三女神田心姫神(たごりひめのかみ)をまつっている。島は時の大和朝廷と朝鮮半島を結んだ海の道「海北道中」の中間地点に位置し、韓国釜山までも145キロメートルしかない。元寇後の1297年永仁4年)に編まれた『夫木和歌抄』に「うつ波に 鼓の音をうち添えて 唐人よせぬ 沖ノ島守り」と詠まれており、沖ノ島が神国思想の拠り所として最前線防波堤の役割を担っていたことがうかがえる。1855年安政2年)に作成された『皇国総海岸図』には「御号島」と記載される。無人島であるが、現在は宗像大社の神職が10日交代で派遣され、常時滞在している。

エジプト考古学者吉村作治が提唱し、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が行われ、2009年平成21年)1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」(現在の名称は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」)の構成遺産の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載され、2015年(平成27年)7月28日文化庁文化審議会により2017年の審査対象として選出。2016年(平成28年)1月28日に正式版推薦書がフランスパリユネスコ世界遺産センターに提出され、現地時間27日午後に受理された。9月8日、ユネスコ諮問機関国際記念物遺跡会議(イコモス)から派遣されたニューカレドニアの研究者クリストフ・サンドが上陸を許可され現地調査が行われた。2017年(平成29年) 5月6日に、沖ノ島と構成遺産の小屋島、御門柱、天狗岩のみ登録すべきとのイコモス勧告が出されたが、7月9日にユネスコの世界遺産委員会でイコモスによって除外された残りの構成資産(宗像大社辺津宮・中津宮、沖津宮遥拝所、新原・奴山古墳群)も世界文化遺産に登録されることが決まった。これにより、日本の推薦する全ての構成資産の登録が決定した。

領海保持の観点からは、領海及び接続水域に関する法律による特定海域(対馬海峡東水道)の領海を示す基点であり、排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律に基づく低潮線保全区域に設定もされている。

大島から見た全景

宗像大社沖津宮

島の南西部、標高75~85メートル付近で巨石群(磐座)が密集する場所に鎮座する。石積み基壇上に木造銅板葺き屋根の神明造社殿が建つ。沖ノ島に社殿が建立された最も古い確実な記録は17世紀半ばで、それ以前の社殿の存在については分かっていない。古代以来、長らく自然崇拝の形式(古神道)を保っていた可能性がある。幕末の1851年嘉永4年)には福岡藩藩士平野国臣らが沖津宮の社殿普請のため宗像大島に滞在している。何回かの改築・修復で1932年昭和7年)にほぼ現在の形になった。「宗像神社境内」として文化財保護法により史跡に指定されている。

宗像三宮(沖津宮及び中津宮、辺津宮)は、記紀に於いて御神名と鎮座地が明確に記述された最も古い社(創祀)であり、古事記には神代上巻、『故其先生神、多紀理毘売命胸形奥津宮坐、次市寸島比売命胸形中津宮坐、次田寸津比売命胸形辺津宮坐、此三柱神胸形君等以三前大神也』とあり。これは大和国大神神社三諸山伝承の記述より先に出てきている。 日本書紀では第六段、アマテラスとスサノオの誓約で初出、天孫降臨より以前のアマテラスの神勅により、海北道中に降臨し天孫を助け天孫にいつかれよと玄界灘の島々に鎮座された。

前述の通り古事記には「胸形之奥津宮」とあり宗像大社の奥宮とするのは長年の旧慣であるが、近代的土地登記制度上では社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律(国有境内地処分法)により1952年(昭和27年)に宗像大社の所有地(神領)となったもので、それ以前は大蔵省所管名義であった。地籍登記上の住所は、福岡県宗像市大島沖ノ島2988番。

島に常駐する神職が寝泊りする社務所は御前浜(沖ノ島漁港)と呼ばれる港に設けられており、真水の湧水があり、太陽光発電装置船舶無線などが完備されている。以前は浜より上段の高台に社務所があり、小さなが作られ耕作も行われていた。神職は毎朝、神饌を供える「日供祭」を日課としている。

2018年(平成30年)2月より社殿の修繕が行われ、10月に落慶した。

沖ノ島に鎮座する宗像大社沖津宮

海の正倉院

旧社務所跡地での発掘調査で出土した土器石器から、縄文時代前期には漁民らが上陸し、ミチ(ニホンアシカ)猟の漁業基地として使用していたことが確認された。出土した土器などの特徴から、北部九州、瀬戸内海山口の広範囲から、漁民たちが訪れていた事が分かっている。第二次大戦中には、旧社務所から北西にのびる軍用道路のかたわらから細形銅矛が出土しており、弥生時代の在地祭祀で用いられたものとみられる。

沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは出土遺物の年代編年から古墳時代前期、4世紀後半頃と推測される。391年倭国高句麗へと出兵した際、北部九州が前線となった時期に相当する。祭祀の終了は9世紀末頃とみられ、894年寛平6年)に遣唐使が廃止されたことや神道神社の形式が確立したこと、仏教による鎮護国家の比重が増えたことなどとされる。

第二次世界大戦後、宗像大社復興期成会(発起人と初代会長は出光佐三)により1954年(昭和29年)- 1971年(昭和46年)にかけて三次にわたる発掘調査が行われ、沖津宮社殿周辺の巨石に寄り添う22の古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土(そのほかに縄文時代・弥生時代の遺物が出土)した。これらのうち第一次・第二次調査出土品は1962年(昭和37年)に国宝に指定、第三次調査出土品は1978年(昭和53年)に重要文化財に指定された。2003年(平成15年)には上述の国宝と重要文化財を統合、さらに同年と2008年(平成20年)に未指定物件が追加指定され、関連遺物全てが国宝に指定されている。しかし学術調査されたのは祭祀遺構全体の3割に過ぎず、多くは手付かずの状態で残っている。こうしたことから、沖ノ島は海の正倉院と称される。

沖ノ島17号遺跡(複製) 国立歴史民俗博物館展示

祭祀遺構

沖ノ島の祭祀遺構の特徴は考古遺跡ながら一部は埋蔵文化財化しておらず、遺構や遺物が千年以上も地表に露出したまま荒らされずに残されている点にある。沖津宮が建つ島の中腹に12個の巨石(A~L号と呼称)と無数の岩が散乱する中に点在する。正倉院にも収められているシルクロードを介してもたらされたペルシアガラス碗など地方豪族では入手困難なものが多数含まれていることから、ヤマト政権による国家的な祭祀が行われていたと推測され、古代における沖ノ島の重要性を物語っている。位置関係と遺物編年から四つの時期に区分される。

  1. 4世紀後半から5世紀にかけての岩上祭祀/巨石の上で祭祀を行ったもので、三角縁神獣鏡などの銅鏡が見つかっており、宗像氏と関連がある津屋崎古墳群の副葬品と共通するものもある:16・17・18・19・21号遺構
  2. 5世紀後半から7世紀にかけての岩陰祭祀/巨石の岩陰で祭祀を行ったもので、新羅の都・慶州の大陵苑王墓(世界遺産慶州歴史地域)から出土したものと酷似する金製指輪など朝鮮半島由来の遺物が多い:4・6・7・8・9・10・11・12・13・15・22・23号遺構、4号は洞穴状を成し「御金蔵」とも呼ばれてきた
  3. 7世紀後半から8世紀前半にかけての半岩陰・半露天祭祀/岩陰に接する平場で祭祀を行ったもので、唐三彩など中国由来の遺物がみられる:5・(14)・20号遺構、第三次調査で14号は20号と同一の遺跡であると判明し現在では欠番扱い
  4. 8世紀から9世紀末にかけての露天祭祀/岩場から離れた平地で祭祀を行ったもので、遺物は滑石製形代類と呼ばれる人や馬に似せた祭祀専用の石製品(雛形製品)などになり、国内生産品が主体になる。:1・2・3号遺構、3号は沖津宮のすぐ脇に位置する(上部社殿写真の右下面)

この失われた4世紀と呼ばれる時代からの沖ノ島祭祀遺構は、日本の国家祭祀の起源、神道考古学における原始神道の源流であると國學院大學岡田莊司笹生衛教授や九州大学の西谷正教授などが指摘している。根拠は伊勢神宮で最も古い9世紀の「皇太神宮儀式帳」に祭祀の方法などが酷似していること、または奉献品が同一であることなどが挙げられている。祭祀空間が時代とともに遷移したのは、徐々に大人数が参加する大規模なものへと発展したことでより広い場所を確保する必要性が生じたためと考えられている。

8世紀後半から9世紀には神仏習合が起こり、宗像大社でも読経が行われた事例が見られるが、古代の沖ノ島祭祀に関しては仏教的要素はみられず、露天祭祀遺構での雛形製品は神祇官による律令祭祀の表れとされる。

発掘調査での遺物回収は岩上および地表に露出していたものの表層回収(一部)とトレンチ調査で掘削した範囲内で行われたのみのため、岩陰および露天祭祀遺物の多くは現在でもそのまま島内に残されており、その後腐植土に埋もれたものや風雨で表土が流され新たに地表に露出した遺物もある。回収された遺物の多くは宗像大社(辺津宮)に併設された神宝館で見ることができるほか、東京出光美術館も一部収蔵し不定期だが陳列することがあり、千葉県国立歴史民俗博物館には祭祀遺跡や奉献品のレプリカが展示されている。

世界遺産登録審査が行われた第41回世界遺産委員会では、韓国が「沖ノ島の考古遺物の多くが古代の中国や朝鮮半島で作られたものであり、その分析を進めなければ価値は完全には証明できない」と共同研究の条件を付けて了承した。

島への上陸

立入制限

島は全域が宗像大社の私有地であるため、まず大前提として宗像大社の許可が無ければ(公権力の行使を除いては)島に上陸、立ち入ることはできない。また、島は重要な宗教施設であるとともに「沖ノ島原始林」として国の天然記念物にも指定されている。現地大祭での沖津宮参拝

2017年までは一般人の上陸が許可されていたが、これは通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られていた。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人程の男性のみであった。

特別な立入許可に関しては、地元青年団(玄海未来塾など)による清掃奉仕、宗像系神社(厳島神社弁財天)の神主禰宜引率による正式参拝、政財界の有力者が代表を務める参詣団、灯台と携帯電話アンテナの保守点検や文化財・自然保全状況の確認作業員など、必要な場合の工事関係者等が事前に許可を得て上陸が認められる。ほか、2012年(平成24年)11月1日に宗像大社が招聘した世界遺産登録専門家会議の韓国人中国人スリランカ人イギリス人研究者ら外国人が上陸、2015年(平成27年)10月24日に福岡で開催された国際記念物遺跡会議(イコモス)総会に伴いグスタボ・アローズ会長ら役員が上陸を認められている。

2015年11月17日には近年では初となる報道陣の一斉上陸を認めている。また、報道関係の一貫としてテレビ番組等の取材も特別に許可される場合がある。なお、芸能人など有名人枠と言う物は存在せず、2017年までの一般人枠の中に入れてもらうか、報道番組取材の一環として参加するに止まる。

前述のとおり2018年以降、大社の特別な許可がない限り、現地大祭などの一般人の上陸許可を出さない方針とした。

以上の場合いずれも女人禁制と禊は守られている。

女人禁制について

世界遺産登録前、葦津宮司は「世界遺産になっても沖ノ島は開示するものではない」と明言しており、一般開放はもとより、女人禁制の伝統的禁忌も継承される。このことについて女性権利団体などから抗議の声が上がり、観光業界でも懸念が広がった。

これに対しユネスコ指針「ジェンダーと世界遺産」では、「個々の宗教観や文化性は尊重する」「因習を話し合う場があるべき」とし、女人禁制が世界遺産登録審査の障害にはならないことを示唆していた。

国内法的には、宗像大社の私有地内であり、所有者が立ち入りを拒否する権利があり、女性差別などの違憲日本国憲法第14条への抵触)には当たらないとの見解がある。世界遺産条約でも「当該国内法令に定める財産権は害さない」とし、所有権とその権利の行使を認めている。

不法上陸

沖ノ島は無人島で監視員も少ないため不法侵入が複数回起きている。

国際関係的には、1998年(平成10年)に対馬海流にのり北朝鮮からの脱北者が潜入し海上保安部に身柄を拘束される事件が起きており[22]、遡れば1963年(昭和38年)には韓国から大挙34人もの密入国もあった。これらの場合、出入国管理及び難民認定法により退去強制することになる。領海は壱岐島(辰ノ島北西端の岩礁)、沖ノ島と見島との間で直線基線が引かれており、沖ノ島の領海12海里(約22.2km)に入る外国の船舶、艦船は元より、不法侵入を試みようとして沖ノ島の接続水域24海里(約44.4km)に進入した不法目的の船舶、艦船は国際法により拿捕、強制退去等の対象となる。なお居住離島とは考えられておらず、特定有人国境離島地域を構成する離島には指定されていない。

一方で日本人在留資格者が無断上陸した場合、刑法130条住居侵入罪が適用され、また刑法188条礼拝所不敬罪にも問われる可能性がある。不法侵入対策として、島の港湾部に監視カメラが設置されることになった。

なお、島周囲の岩礁(実質的に島本体の地磯を含む)への磯釣り目的の上陸は容認されてきたが、2016年より福岡県と宗像市、宗像大社、漁業者が協議を重ね、その結果、島への接近は2kmまでとすることでほぼ合意した。しかし、2km以内の海域に入った日本籍船を取り締まる法律や条例はない。

上陸について

宗像大社に許可されたものの上陸はすべて神事の一環として行われ、現地大祭の前日に筑前大島中津宮に参拝し、沖津宮奉賛会費(事実上の船代)2万円を支払い、島内に分宿。大祭当日は早朝より筑前大島船籍の釣り船などに分乗、2時間弱で島に到着する。現地に着いたあとは御前浜でまず全裸で海に入って垢離)をしなくてはならない。

島全体が国の天然記念物であるため、島内の植物や岩石の収集は禁止されている。ただし、島内の湧き水(ご神水)のみは例外とされている。島での滞在は2時間程の制限時間がある。

大祭日、女性は大島にある沖津宮遥拝所から沖ノ島を遥拝する。

沖ノ島は第4種避難港指定を受けていることから、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるよう港湾設備が整備されている。そうした際に寄港して上陸する場合には、社務所に許可を取って禊をすることが必要である。

前述のように2018年から、現地大祭時であっても一般人の入島は原則禁止される。2018年2月17日に開催されたシンポジウム(於 イイノホール)において、葦津敬之宮司は「人が入らなくなった環境を数年毎に報道関係者に上陸してもらい広く伝えてもらうことを考えている」との方針を表明した。

宗像市は九州本土側の市内にある「海の道むなかた館」で沖ノ島の3次元映像を放映し、実際の上陸に代えて島の様子を見られる体験を提供している。

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