厳島神社は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社 | 日本の歴史と自然の美を楽しむ

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社

厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社)は、広島県廿日市市厳島(宮島)にある神社式内社名神大社)、安芸国一宮旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。

古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。

平成8(1996)年12月にユネスコ世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。

Itsukushima torii distance.jpg
厳島神社 境内 (遠景).JPG

大鳥居(上)と社殿(下)

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概要

広島県広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ日本三景の1つに数えられている。平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。社殿は現在、本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めている。

厳島神社の平舞台(国宝:附指定)は日本三舞台の1つ[* 1]に数えられるほか、海上に立つ高さ16mの大鳥居重要文化財)は日本三大鳥居の1つ[* 2]である。また、夏に行われる例祭は「管絃祭」として知られる。

祭神

祭神は次の3柱。3柱は「宗像三女神」と総称される。

市杵島姫命は神仏習合時代には仏教の女神の弁才天と習合し、隣接する大願寺と一体化して大伽藍を構成していた。現在、大願寺は「日本三大弁才天」の1つとされている。

2016年G7広島外相会合における平舞台での雅楽。

歴史

創建

社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まるとされる。「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとする説がある。

厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源のように、古代から島そのものがとして信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。

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社殿

境内 遠景社殿は寝殿造を神社建築に応用したもの。

概要

厳島神社の主要な社殿は、厳島の北部、大野瀬戸に面した有浦(ありのうら)と呼ばれる湾の奥に建つ。湾のもっとも奥まったところに宗像三女神を祀る本社が北(厳密には北西)を正面として建つ。本社社殿は奥の本殿と手前の拝殿の間を幣殿でつないで全体を1棟とする形式であり、拝殿の手前には祓殿(はらいでん)が建つ。祓殿のさらに手前(海側)には「高舞台」と呼ばれる高欄付の舞台があり、舞楽の奉納などに使用される。その周囲の屋根がない板敷の部分を「平舞台」という。平舞台に接して、左右の門客神社(かどまろうどじんじゃ)、左右の楽房などの小建物が建つ。平舞台のもっとも海側は桟橋状に細く突き出ており、この部分を「火焼先」(ひたさき)と称する。「火焼先」の延長線上には海中に大鳥居が建つ。祓殿の側面からは左右に屈折する廻廊(東廻廊、西廻廊)が伸び、厳島神社特有の景観を形成している。東廻廊の途中、湾の東側には、摂社客神社(まろうどじんじゃ)が西を正面として建つ。客神社も本社と同様に本殿・幣殿・拝殿・祓殿から成るが、社殿の規模は本社より小さい。以上の建物の大部分は海域に建っており、満潮時には建物が海上に浮かんでいるように見える。このような立地にもかかわらず、各建物には何か特殊な建築技法が使われているわけではなく、浅い海底に地上の建物と同様に礎石を据え、杭(束)を立て、その上に板床を張っている。木製の杭は満潮時には海水に浸かるため腐食をまぬがれず、定期的に点検を行って、腐食が判明した場合は根継ぎを行っている(平舞台のように、石造の杭を用いている部分もある)。本社本殿・幣殿・拝殿(以上1棟)、本社祓殿(はらいでん)、摂社客神社本殿・幣殿・拝殿(以上1棟)、摂社客神社祓殿、東廻廊、西廻廊の計6棟が1952年に国宝に指定されており、高舞台、平舞台、左右門客神社、左右楽房は国宝の「附」(つけたり)指定扱いとなっている。記録によると、かつての厳島神社には夏堂(本地堂)、粥座屋、朝座侍屋があったことが分かっている。また、付加された建築としては天神社、能舞台などがある。

社殿は波の穏やかな瀬戸内海の島の北岸に位置するとはいえ、海域に建っているため、台風などによって被害を受けることもしばしばである。20世紀以降では、1945年9月17日の山津波で各建物の床下に土砂が流れ込む被害を受けた。1950年9月13日のキジア台風と1951年10月14日のルース台風でも高潮の被害を受けている。1991年9月27日の台風19号による被害は甚大で、左楽房の部材が流出し、それをロープで繋ぎ止めている間に能舞台が倒壊した。2004年9月の台風でも左楽房が倒壊するなどの被害があった。こうした高潮等の被害のため、外海寄りに位置する左右楽房、平舞台などはたびたび修理を受けており、古い部材は残っていない。一方で、本殿・幣殿・拝殿などの主要建物は、1991年の台風で檜皮葺屋根がめくれるなどの被害はあったが、建物の根幹部はさほど甚大な被害を受けていない。

以上のように、厳島神社の社殿は台風に伴う土石流、高潮などの被害をたびたび受けている。しかしながら、毎回被害を受けるのは能舞台、門客神社、楽房などの一部の建物に限られている。これらの建物は平清盛の時代には存在せず、後に追加されたものであり、いずれも簡易な構造の附属社殿である。本殿、拝殿などの主要建物は、1991年の大型台風の際にも被害は僅少であった。建築史家の三浦正幸は、厳島神社の本殿内陣は清盛の時代以来850年間、一度も水没したことがないとしたうえで、当神社の主要社殿は200年に一度の高潮にも水没しない位置を選んで建てられているとし、台風の被害を受けるのは清盛時代には存在しなかった社殿(門客神社、楽房など)のみだとしている。また、当神社の社殿が海域に建っているにもかかわらず、柱の不同沈下を起こさないのは、社殿の建つ位置がもともと陸地であったところを掘削して海としたためであり、社殿は大きな岩盤の上に建っているのではないかとする。

厳島神社の社殿が現在に近い形に整備されたのは、平安時代末期であり、安芸国守に任じられた平清盛の援助を受け、当時の神主佐伯景弘によって社殿が造営された。当時の社殿は承元元年(1207年)と貞応2年(1223年)に火災に遭い、現存する社殿の主要部は貞応の火災後、仁治2年(1241年)に再建されたものである。本社の幣殿・拝殿・祓殿、客神社の本殿・幣殿・拝殿・祓殿はこの時の建物であるが、本社本殿は室町時代に建て替えられており、棟札から元亀2年(1571年)の再建と判明する。この時の再建は火災に伴うものではなく、永禄12年(1569年)、毛利元就と対立した備後の豪族和智兄弟が本殿に立て籠もり殺害されるという事件があり、社殿が血でけがれたとして建て替えられたものである。これらの社殿は中世の再建ではあるが、その規模や様式は平安時代末期のものを引き継いでいるとみなされている。摂社客神社の社殿は永享2年から5年(1430 – 1433年)に大規模な修理を受けている。

大鳥居と社殿(海側から)

左右門客神社(左)、左楽房(右)、背景は五重塔

五重塔

本社本殿の屋根は、切妻造の正面・背面の両方を長く伸ばし、その伸ばした部分を庇とした形で、このような屋根形式を「両流造」という。本殿の柱間は桁行(間口)が正面8間・背面9間、梁間(奥行)が4間である。構造的には桁行9間、梁間2間の身舎の前後2方向に庇を付けた形になる。桁行背面の柱間が9間であるのに対し、桁行正面の柱間が1間少ない8間となっているのは、正面側では柱を1本省いているためである。すなわち、背面では柱が規則的に10本立つ(柱間は9間)のに対し、正面では向かって右から5本目にあたる柱を省いて、その部分の柱間を他より広く取っており、ここが社殿の中軸部になる。本殿の内陣には6基の宝殿を安置する。6基のうち3基には宗像三女神を祀り、残りの3基には相殿神と呼ばれる神々を併祀する。このうち、主神の市杵島姫命の宝殿を安置する部分のみ柱間が他よりも広くなっており、これが前述の中軸部にあたる。以上のような理由で、本社では社殿の中軸が西方(向かって右)にずれている。本殿の組物は平三斗(ひらみつと)で、中備(なかぞなえ)は中軸部の柱間が蟇股(かえるまた)、その左右の柱間は間斗束(けんとづか)とする。蟇股は明治14年(1881年)の修理時の新造だが、摂社客神社本殿の蟇股と似ていることから、修理前の古い形態をとどめているものと思われる。本殿正面の柱間装置は、中央6間を引違いの菱格子戸、両端の間を連子窓とする。

本社本殿・拝殿(西面)

拝殿は入母屋造、桁行10間、梁間3間で、組物は舟肘木を用いる。神社の本殿・拝殿の正面柱間は3間、5間などの奇数となるのが普通で、偶数の10間とするのは異例である。拝殿も本殿と同様に左右非対称で、右から5間目の柱間のみが特に広く、この部分に幣殿が取り付く。拝殿内部は、柱の省略がなく、1間ごとに規則的に柱が立つ。梁間3間のうち、中央の1間と奥(南側)の1間とはそれぞれ化粧屋根裏とする。化粧屋根裏とは、天井を張らず、桁、垂木等の構造材をそのまま見せるもので、建物内部から見上げると、切妻造の建物2つが前後に接して建っているように見える。この2つの棟を覆って建物全体の棟があることから、全体を「三棟造」といい、この拝殿のことを別名「三棟」ともいった。

本社拝殿内部

廻廊

東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。西廻廊は折れ曲がり62間で、西端は地上部に発し、海上に建つ能舞台を囲むように4回直角に折れた後、本社祓殿西面に接続する。東廻廊は折れ曲がり45間で、東北端は地上部に発し、客神社の祓殿と拝殿の間を通り、3回直角に折れた後、本社祓殿東面に接続する。両廻廊とも組物は舟肘木とし、平舞台と同様、床板は高潮時の水圧を逃がすため、隙間を空けて張っている。内部架構は梁間方向に直材の虹梁を渡し、その上に又首(さす)を組み、又首上の舟肘木で桁を支える。廻廊には棟札が多数残り、室町時代末期から桃山時代にかけて順次整備されたものであることがわかる。廻廊の現在の床板は明治末期頃に張り替えたもので、磨滅防止のため、本来の床板の上に保護板が張られている。

東廻廊(東から見る)

東廻廊(客神社付近、北から見る)

世界遺産の登録

厳島神社
日本
英名Itsukushima Shinto Shrine
仏名Sanctuaire shinto d’Itsukushima
登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4), (6)
登録年1996年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
使用方法表示

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

現地情報

所在地

拝観時間

  • 午前6時30分-午後5時通常は午後5時に閉門となる。ただし、大鳥居については午後5時以降もライトアップされており、干潮であれば近づくことも可能である。

付属施設

  • 宝物館 – 厳島神社の所有する国宝・重要文化財指定を含む宝物を展示。

交通アクセス
宮島口桟橋から宮島(宮島桟橋)までフェリー利用。宮島桟橋から拝観入口までは徒歩約10分。

JR西日本宮島フェリー 宮島航路 (乗船時間約10分)

宮島松大汽船 宮島航路 (乗船時間約10分)

宮島口桟橋までのアクセス

JR西日本山陽本線 宮島口駅 (徒歩5分)

広島電鉄宮島線 広電宮島口駅 (徒歩すぐ)

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